カモフラージュ

なぜ「若い父」は赤ちゃんを抱っこするのか  田中俊英 | 一般社団法人officeドーナツトーク代表 
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20160512-00057603/
 
これは言い換えると、既存の「家族」イメージの再生産ということでもある。
皮肉なことに、現代の保育園問題を喚起しようという狙いの「若い父と赤ちゃん」のイメージが、リジッドな(堅い)従来「家族」イメージを再生産してしまう。

 若い父と赤ちゃんのイメージが従来「家族」イメージを何故再生産するのか全く分かりません。もう少し,その当たりを丁寧に説明した方がよいのではないかと思います。さもなければ,私の様な読者は色々と妄想しかねません。例えば,次の様な妄想です。

 筆者は古い家族のイメージを持っていて,潜在意識では若い父親が赤ちゃんを抱っこすることを快く思っていないんじゃないかな。でも,顕在意識では先進的な思想を持っていると自負しており,不快感を率直に表明するのは認知的不協和を引き起こすのだ。で,既存の「家族」イメージの再生産という説明によって認知的不協和を解消しようとしているのではないかなあ。

 くどいけど私の妄想です。従って,妄想を理由に田中俊英氏を批判する意図は有りません。いや,多少はあるかな。少なくとも,論理が飛躍し過ぎという批判はしておきます。本音はともかく,建前を書きますと,他山の石とするのが主旨です。

 私自身,妄想のようなことを良くしでかすのです。頭の中にある着想が浮かんで,それを文章化することがありますが,上手く出来ないことがしばしばあります。高度なことは表現も難しくなると思い,文章表現もつい難解になり,苦労します。しかし,後で落ち着いて考えて見ると良い着想だったと思ったことが大したことではなく,そもそも自分で良く理解していなかったため,上手く表現出来なかっただけと分かります。

 論理が飛躍している空白を補う為に,紋切り型の難解表現になったり,カタカナ語が多用されたりしている場合は,実は自分でも理解していない内容を書いたり,本心を隠してごまかそうとしている場合が多いのですね。残念ながら,この試みはおおよそ失敗します。

 ・・・建前を書いても,本音がにじむなあ・・・ブーメラン・・・