三浦九段(無罪)とベッキー(有罪)の扱いの共通点

 今回は,まとまらない考えを,つらつらと書きます。

「私から将棋を奪わないで」 三浦九段は何を失ったのか
http://www.47news.jp/47topics/himekuri/2017/01/post_20170110124437.html
私の棋士生命は、刻一刻と失われつつあります。私は棋士です。私には将棋しかないのです。どうか私から将棋を奪わないでください

■ 灰色疑惑だけで出場停止とした将棋連盟の処分がなぜ 妥当なのか? 

 疑わしきしきは罰せずなのに,第三者委が将棋連盟の出場停止処分を「妥当」としたのはなぜなんでしょうか。これが裁判なら明らかに妥当ではありません。ただ,裁判の判決と将棋連盟の処分には少々違いがあります。将棋連盟は正義の裁定だけでなく,棋戦の運営も担っていることです。スポンサーを探さなければなりませんし,スポンサーは世評を気にします。そして世評は好き勝手なことを言います。連盟はその配慮も行わなければなりません。

■ 谷川会長は謝罪したが,疑った人が謝罪しないのはなぜか?

 今回の第三者調査委員会の報告後,将棋連盟の谷川会長が謝罪しましたが,三浦九段を疑った世評の発言者は謝罪しなくてよいのでしょうか。個人的には謝罪してほしいのですが,そんな義務はたぶんないと思います。世評は主観で勝手なことを言ってよいからです。もう少し正確に言うと,芸能スポーツ・エンタメ枠に関する世評についてであって,将棋もその枠に含まれるのではないかということです。

■ 疑惑告発と裁定・処分は違うが,誤認すれば謝罪させられる

 これに対して,社会正義に関わるジャーナリストの記事はもう少し客観性が要求されます。また,隠された不正を暴くために,疑いの段階でも告発記事にします。その告発が裁判で無罪と裁定されれば,強制的に謝罪させられることもあります。それでも,裁判が間違うこともありますので,不当判決として告発を続けることもあります。

■ 正義追及の疑惑告発か興味本位の主観的発言か

 将棋ソフト使用に関する告発が正義の追求なのか,エンタメ枠の主観的発言なのかは,微妙です。ただ,仮に正義の告発だとしたら,第三者委員会の報告に関わらず告発を続ける人もいくらかは存在すると思います。第三者委員会の判断が不当かもしれないからです。実際に将棋連盟の処分を妥当とした見解については異論が多くあります。ところが,三浦九段への疑惑は謝罪もなく,まるで最初からなかったかのようにパッタリとなくなりました。このことから,芸能人の不倫疑惑と同種の興味本位の疑惑であった可能性が高いと私は感じました。

■ 興味本位の世評を気にしなければならない経営判断で職業生命を絶たれる
 非常に厳しい現実ですが,芸能人や棋士という職業は,興味本位の疑惑であっても職業生命を絶たれるおそれがあります。世評という無責任なものを相手にしている以上やむを得ない面もありますが,職業生命を失うのは厳しすぎると個人的には感じます。何らかのセーフティネットがあっても良いと思いますが,生活保障のある芸能人や勝負師というのも違和感があります。

■ 正義と興味本位は明確に区別できない

 説明の都合上,正義とエンタメに二分しましたが,両者ははっきりと区分できません。棋士は芸能人よりは境界寄りに位置していますし,最も正義が重要と思える政治も民主主義という結構無責任な世評で左右されます。割り切るには難しい問題です。

■ 出場停止理由は疑惑ではないのに,疑惑の調査をなぜ行ったのか
 当初からこの騒ぎは奇妙なところがありました。将棋ソフト使用禁止ルール*1は12月から採用予定であって,三浦九段の疑惑の対戦時点ではルール違反ではなかったことです。そのため,処分の理由は,歯切れの悪いものでした。「竜王戦出場辞退を申し出たにもかかわらず,期限ぎりぎりになっても正式の届け出がなく,竜王戦開催が危ぶまれたため」という理由です。正義の追求ではなく,竜王戦運営上の都合だと言っているわけで,この点でも芸能人不倫疑惑と通じるところがあります。結局,ソフト使用は理由ではありませんので,第三者委員会のソフト使用の調査もこの理由なら必要ありません。しかも,三浦九段は出場辞退発言を否定しています。調査するならその真偽ですが,言った言わないの話で証拠がない限り決着はつきません。それに,「出場します」という届け出はありませんので,辞退届け出がないのなら出場意思有と判断するのが普通です。辞退発言があって不安だというのなら,連盟から確認すれば済む話です。「出場の意思について文書で届け出よ。届け出がない場合は辞退とみなす」とでも通知すればよいのですから,変な理由による処分です。

■ 疑惑はルール違反ではないが,竜王戦の商品価値を下げる

 届け出がないという理由は,無理やりな後付けという印象が強いです。本当というか本音の理由は次のようなものではないでしょうか。ルール違反でなければ,何をやってもいいというのは抵抗がある人も多いと思います。将棋連盟も同じように考え,疑惑の棋士を出場させたら将棋ファンの不評を買い,スポンサーも失うという判断したのではないでしょうか。仮に,ルール違反でないので失格ではないと裁定すれば,後で将棋ソフト使用が判明しても裁定は覆せませんし,竜王戦での使用も疑われます。そうなれば,竜王戦の商品価値は下がります。そして,使用の可能性が高いと判断したのではないでしょうか。可能性で有罪無罪を裁定してはいけませんが,経営判断は可能性で行います。出場停止は三浦九段に被害をもたらしますが,出場後に疑惑が本当だと判明すれば,将棋界全体の被害になるという判断です。

■ 将棋連盟は第三者裁定機関ではなく,世評を気にする職能団体

 将棋連盟は棋戦に出場する現役棋士で構成されていて,そもそも中立な第三者裁定機関ではありません。正義の裁定をする裁判所ではなくて,棋士の利益を守る職能団体です。棋士の利益を守るための経営判断は正当不当ではなくて上手下手です。経営判断として公正な裁定の必要性もありますが,裁定そのものよりも世間とスポンサーへのアピールが目的です。客観的なルールではなく,流動的な世間の評価によって裁定しますので,読み違いもありますが,不当とは違います。もっとも,今回の将棋連盟の処分は経営判断としても下手だったとは思いますが。

■ 世評は流動的

 世間の評価が流動的なのは,ルール違反でなければ何をやってもよいのかという判断でも一定ではないことから見て取れます。将棋ソフトカンニングには世間の評価は厳しいですが,将棋の棋戦では相当えげつない盤外作戦が繰り広げられています。例えば,ヒフミン伝説(加藤一二三九段)で検索すればこんなことやってもいいのというのがぞくぞくと出てきます。それでも,なんとなく可愛げがあり,世間は笑って甘い評価をします。それどころか,人気すらでますので,経営判断でも許容的です。そこが三浦九段の疑惑との違いです。

■ 世評は無責任で残酷

 経営判断は,法に反しない限り自由だと思います。解雇や減給という権限もあります。しかし,最低限の生活保障がないのは法に反しないのか,そのあたりがよくわかりません。現実には芸の世界にそんなものは無いようにみえます。その厳しさが世間に受けたりします。考えがまとまりませんが,世間の評価とは無責任で残酷だという感はあります。

*1:【1/21追記】ソフト使用禁止ルールは12月からというのは間違いでした。既に2015年から禁止であり,2016年12月からは,電子機器持ち込みも禁止になったというのが正確でした