政府支出財源としての徴税と国債の違い

■3つの疑問

 経済のド素人の私から見ても、政府支出の「財源」というのは奇妙な表現です。財源とは通常はお金のことを言いますが、政府日銀は通貨を発行できるので、その意味での財源を心配する必要はまったくないのですから。通貨は発行しようと思えば無尽蔵に発行できます。しかし、通貨を大量に発行し、その価値が低下し、紙切れ同然になった歴史はあります。紙切れの通貨はいくらでも発行できますが、価値の発行は無尽蔵ではないのですね。では、①その限度何で決まるのでしょうか。また、②通貨を発行できるのに何故、国債を発行するのでしょうか。さらに、③政府支出を賄うのに国債と税金では何が違うのでしょうか。

 

■信用経済(通貨)の成立

 これらの疑問を考える前に、先ず、信用経済の成立を復習してみます。私は建築関係の仕事に携わっているので、家を作る場合を考えます。大工が家を作るには、建材や労働力等が必要です。通貨のない時代にはこれらを物々交換などで手に入れました。手持ちの交換できるものが無ければどうするかと言えば、将来、家が完成した時に施主からもらう報酬(通貨がないので何等かの価値ある品物)からその一部を渡すという約束をします。約束が成立するかどうかは、信用次第です。相手が大工の生産能力を信用してくれれば約束は成立します。その際に将来、報酬を払うという証書を発行します。その証書がお金の原型ではないでしょうか。

 

■信用査定

 証書発行者には信用が必要ですが、この場合の信用の源は大工の能力です。しかし、一般の人には、信用してよいか見極めるのは困難です。そこで、信用査定する者が現れます。信用査定者は、貴金属の金を保有しており、さらに大工の能力を見極める能力があります。信用査定者は査定に合格した大工に貴金属の金を貸し、大工は借りた貴金属の金を建材等と交換します。家が完成すれば、施主から報酬(貴金属の金など)を得て、そこから査定に利子を付けて返します。実際には、貴金属の金ではなく、金と交換するという証書を使います。査定者の金庫にはいつでも交換できるだけの金があるのでその証書は信用されているのです。大工が発行する証書ではなく、信用査定者の発行するこのタイプの証書の方が信用が高く通貨により近いです。

 

■裏づけが無く、信用だけの証書 

 ところが、信用査定者は、あることに気づきます。証書を貴金属の金に交換する者はそれほど多くはなく、証書がそのまま取引に使われていることに。そのため、金庫に保有しておく貴金属の金は証書の1割もあれば十分なのです。貴金属の金の裏付けがなくとも証書は発行でき、利子が得られるのです。詐欺のようですがそうではありません。信用査定者が大工の生産能力を正しく査定できていれば、家という価値が生み出されます。詐欺と似ていますがが、現実に家が生産されるところが、虚構だけの詐欺との決定的な違いです。だから、大工の生産能力を正しく査定する能力は極めて重要です。その査定能力が信用のある証書を生み出し、やがて通貨になります。通貨の価値とは、発行者の査定能力と言えるのではないでしょうか。

 

■銀行の成立

 この信用査定者は、元々は、金を預かる金庫業者で、後に銀行になりました。現在の銀行も現金(日銀券)の裏づけなしに銀行預金という証書を融資しています。融資にあたっての査定が正しければ、銀行預金は現金に交換されることは殆どなくそのまま流通して、家以外にもさまざまなものを生みだしています。

 

■疑問①通貨発行の限度

 信用と通貨についての復習が終わったので、当初の疑問を考えます。先ず、政府日銀が発行できる通貨(価値)の限度です。これは銀行の融資限度と似ています。融資先の生産能力を超えて、つまりいい加減な査定で融資すれば、銀行預金の信用が無くなります。最悪、取付騒ぎになり銀行は破綻するかもしれません。政府日銀の通貨発行も民間の生産能力を超えれば、通貨が紙切れになりかねません。確かに限度はあると思います。

 

■通貨発行量と通貨発行限度の相互作用

 このように、限度は確かにありますが、政府が民間の生産能力を正しく査定して通貨発行を伴う支出すれば、問題はないでしょう。政府の通貨発行を伴う支出は、銀行の融資と似ています。民間の生産能力(経済力)を正しく査定し、それに見合う支出(通貨発行)を行えば生産を促し経済が発展します。査定が甘く、発行し過ぎると、通貨は紙切れに等しくなり、経済が潰れます。一方、通貨が足りなければ経済は停滞し不景気になります。不景気であるにも関わらず通貨を減らし続けると、使われない民間の生産能力が衰えてきます。これは、通貨発行量が増えて、限度に近づくのではなく、民間の生産能力である限度が低下して通貨発行量に近づくのであり、国力の衰退という最悪の事態です。銀行が貸し渋りすると、経済が回らず、企業が潰れるようなものではないでしょうか。

 

■疑問②通貨を発行できるのに国債を発行する理由

 次に、第二の疑問、通貨を発行できるのに何故国債を発行するのかを考えます。これは、通貨を直接発行できるのは日銀であって政府ではないという手続き上の問題に過ぎないと思います。政府の支出は政府の日銀当座預金から引き出すことで行います。つまり、日銀が発行した通貨を政府が支出するには、政府の日銀当座預金に預ける必要があります。その具体的方法は、政府が発行した国債を日銀が買うしかありません。ただ、直接日銀が買うのは財政ファイナンスとして禁止されているため、一旦、民間銀行が国債を買い、それを日銀が買います。政府日銀をまとめた統合政府としてみれば、統合政府が発行した通貨を統合政府の支出に使っていることになります。財政ファイナンスが禁止されているため、統合政府内で手続きが完了せず、民間銀行を触媒のように使っているといえます。結局、国債発行は通貨発行と本質的に同じではないでしょうか。

 

■疑問③政府支出を賄う国債と税金の違い

 最後の疑問は、1番目と2番目の疑問と関わっています。政府支出を賄うお金の手当は新しく通貨を発行するか、市中に流通している通貨を回収するかの二つの方法になります。前者が国債発行で、後者が徴税です。国債の場合、借り換えを行う度に、金利分だけ発行量が増えていきます。一方、徴税では、民間の通貨量は増えません。徴税した分だけ支出すればプラスマイナスゼロですが、増えることは有りません。実態的な価値生産が増えているのに通貨量が変わらなければ、物価が下がり、相対的に通貨の価値が上昇し、生産に必要な経済活動に使われず貯蓄として眠ってしまいます。増えた生産を元に戻してしまい、経済成長が止まります。前述の通り、やがて生産能力も縮小し、経済は衰退します。国債発行は経済成長に必須ではないでしょうか。

 

■遊んでいるお金を利用する国債

 国債も発行した時点だけみれば、徴税と同様に市中の通貨を回収しますが、支出すれば元に戻り、償還と借り換えの新しい国債発行の度に金利分だけ増えていきます。また、回収する相手が国債と徴税では違います。徴税はほぼ無差別に、かつ強制的におこなわれますが、国債は、運用するお金に余裕のある者が自主的に国に戻します。眠っているお金を活用するのが国債で、余裕のない者からも無差別に回収するのが徴税です。経済活動に必要な通貨を税に取られれば景気は冷え込みます。経済活動を抑制したい場合は徴税を行い、活発にしたいときは国債発行がよいのではないでしょうか。