■ 遅刻について

 1980年頃、新宿ピットインで浅川マキのライブを聴いたことがあります。特にファンだったわけではなくて、大都会に上京して田舎にはない場所に行ってみたかっただけですが。

 

 その時、ちょっとした出来事がありました。地下の薄暗い穴倉みたいな場所で待っていてもなかなか開演しません。予定時間より1時間ほど遅れてやっと浅川マキが現れました。彼女が何事もなかったようにライブを始めようとしたとき、観客の一人が「遅れたことを謝ったらどうだ」とかなり立腹した様子で言いました。彼女は一言「悪かったわね」と言って歌いだしました。

 

 よくは、知りませんでしたが、遅刻は日常茶飯事なのかなと思いましたね。実は私も中学、高校の頃は、遅刻の常習者でした。親が水商売をしていて夜が遅いので、朝起きているのは私一人でした。自分でインスタントラーメンを作って食べて登校していました。時々寝坊すると当然、遅刻です。一番遅れたのは、1時限目の授業が終わった後でした。1時間以下なので浅川マキよりはマシです。欠席せずにちゃんと登校するところは我ながら律儀です。浅川マキも、遅れはしたもののちゃんとライブはしました。

 

 その後、東京に就職して、新宿に行ったりしたわけですが、遅刻者が結構多い職場でした。たまに対外的な打ち合わせもありましたが、ほとんどは一人で計算したり、図面を書くのが仕事でしたので、誰も遅刻に罪悪感がない様子でした。それどころか先輩の一人は、「仕事さえちゃんとすれば遅刻したっていい」と言ってましたね。時間管理にタイムカードなどなく、出勤簿にハンコを押していました。

 

 とはいえ、管理職はそのようなルーズさを放置できない立場だったようで、聞いた話では、かつての課長は出勤簿を自分の机の上に置いて、遅刻者がハンコを押すのを待っていたそうです。なお、その課長は浅川マキに苦情を言った人ではありません。多分。

 

 性格は人それぞれで、時間にものすごく正確な人もいます。私が一緒によく遊んでいた人もその一人ですが、人に迷惑をかけたくないという倫理観が強いのではなく、時間の無駄をなくすのが趣味みたいでした。ですから、遅刻だけでなく、早すぎるのも出来るだけなくそうとしていました。秒針まで合わせた時計を付け、電車の時刻表を調べ、待ち合わせ時間ピッタリに現れます。だた、時間ピッタリが理想で、アクシデントに対する安全を見ることはしないので、たまに遅刻していました。鉄道関係者でもなければ、時計の秒針まで見る人はあまりいないと思いますが、その人は、しっかり見ていました。時計には電池が消耗してくると、秒針が2秒から30秒に1回だけ動く省電力機能の付いたものがあります。たまたまその機能があると知らずに買ってしまったその人は返品したといってました。秒針が付いている意味がないと言っていました。

 

 一方で、遅刻が嫌いで、会議などにかなり早くやってくる人がいます。時間が無駄なので、席に座って何か別の仕事をされています。会議をセットする側にとっては大変有難いですが、会場の設営中にいらっしゃることもあるので程度問題ですね。

 

 さて、中学高校では遅刻常習者だった私も、現在では始業時間の1時間以上前に出勤する生活を10年ほど続けています。電車が混まないことと、朝の1時間は結構仕事がはかどることが分かったからです。年寄になって早起きは全然苦にならないし、夜10時には就寝していて豆腐屋さん的リズムになっただけです。遅刻したくないとか、人に迷惑かけたくないとか、そういう動機は一切ありません