不正予防対策、事後的罰、信頼・・・

 杭施工報告書偽装事件の余波は留まるところを知らず、建業法や建基法の規制強化にもなりそうな勢いである。ある程度の法改正もやむを得ないという気もするが、罰則の強化にとどめて欲しい。しかし、法令による手取り足取りの施工管理の指導という情けない事態になる可能性が高い。建設業者は悪徳業者というのは、世間だけでなく監督官庁の認識でもあるからだ。施工に関わる建設業者だけではない。設計者もそう思われている。

 自動車業界でも不良品は発生し、リコールはしばしば行われているにも関わらず、社会問題になるのはフォルクスワーゲンやタカタぐらいである。それらにしても当の企業への批判や制裁に留まり、自動車業界全体の構造的問題として扱われることはあまりない。翻って、建設業界の見られ方はかなり違う。施工不良があると「常習的な手抜き工事を行っている業界体質の問題」とみなされるのである。それは、施工分野だけではない。設計分野の建築士も同様である。

 姉歯事件の時も、建基法や建築士法の改正が行われた。罰則の強化のほか、ピアチェックと呼ばれる第三者による構造計算書審査が義務付けられた。第三者の目で見るというのは重要であるが、法律で義務付けるというのは建築士の職能が信頼されていないわけで、業界当事者は心穏やかではいられない事態のはずであった。建築士は建設業者同様に、お目付役が必要な自立していない存在とみなされたのだから。

 建築士は国家資格であるが、医師や弁護士の資格に比べて職能として格下に見られている。見ているのは、行政と世間一般である。医師にも誤診はあるので、ピアチェックつまりセカンドオピニオンは重要である。ただし、それは法的な義務ではない。あくまで納得のいかない患者側の判断で行うべきものだ。また、医師の診断に違法行為がないか厚生労働省が診断書の確認を行った後でなければ治療出来ないということもないし、行おうとしても実施不可能である。治療には緊急を要するものがあるので、のんびりと行政の審査など待っていられない。

 ところが、建築士の設計行為については、行政が建築確認を行った後でなければ工事に着工できないのだ。治療が遅れて死人が出るようなことはないが、着工が遅れて建築主や建設業者に経済的打撃を与えている。それでも、行政の審査無しにすれば、それ以上の被害を与えるいい加減な資格だと思われているわけである。要するに、建築士は建築主事より格下で信頼されていないのである。残念ながらとても、専門家とは言えない。

 さらに、設計方法についても、建築基準法に事細かに規定されており、法律に従えばほぼ設計が出来るとしばしば揶揄される。法律の専門家から見ると、建築基準法の体系は法律として異常に細かい規定が多いそうである。医師の診断法や治療法が法律に規定されているかどうか知らないが、あったとしても僅かだろう。学術的な診断基準類は当然あるが、医療については行政よりも医師の方が専門家として尊重されている。

 一方、建築の世界では、建築士自身が専門家として尊重されたがっていないように見える状況すらある。法律に設計の判断基準を決めてもらわないと、責任が持てないと言い出す建築士も多いのである。東日本大震災の時に天井が落下して死者もでた。そのため、建築基準法関係の告示の改正が行われた。告示で決めてもらわないと、建築士は自ら考えて天井落下対策も出来ないのである。従来から法令には、「天井は地震等で落下しないものであること」という規定は存在する。しかし、具体的な方法は書いてないので建築士はどうしてよいか分からないというのである。私が聞いた告示改正の説明会でも、法律は最小限の規定にとどめ、具体的な対策は専門家に任せてほしい旨の発言は少なく、国が基準を定めてくれないと困るという意見が多かった。自分たちには能力がないので、国がしっかりせい、ということである。そして、国はその声に応え、法令に手取り足取り書き加えてきたという歴史がある。

 このような状況は、実務的にも不具合を引き起こしている。法令類の改正は簡単にはできないのに、細かいことまで書いてある。そのため、技術の進歩に迅速に対応できない。設計だけでなく、施工でも同様の状況がある。工事仕様書の類は常に見直しを行う必要があるが、法令に工事仕様書に書いてあるようなことまで規定してあるので、下手に工事仕様書を変えると違法になってしまいかねないのだ。建築分野が十年一日なのはこういうところにも原因があると思う。親が世話を焼きすぎると子供は自立しない。

 今回の事件でも、対応の必要性は杭工事だけの問題にとどまらず、施工管理全般に及びそうである。下請けの施工報告書は毎日提出せよ、というようなことまで法令に規定されるかもしれない。しかし、それで、このような不正がなくなるとは思えない。施工報告書の偽装が今までは、契約違反(これも違法である。)だったのが、建設業法や建築基準法のような個別法令の違反にもなるだけである。また、毎日提出が現実的かという問題もある。工種によっては難しいものもある。そのような場合、現場は法令を無視するか、形だけ取り繕うという対応になりがちである。形の取り繕いとは偽装とも言い、偽装対策が偽装を再生産する皮肉になってしまう。

 報告書提出義務のような一般的な対策では、逆に偽装を助長しかねないからといって、偽装を技術的に困難にするような具体的方策を法令に定めるのはさらに悪い。例えば杭の施工記録はすでに電子的記録に変わってきており、以前に比べ偽装は困難になっている。今後もその種の技術は急速に進歩するはずである。にもかかわらず、法令に規定してしまうと、その技術の発展を阻害してしまう。もし、以前から、杭の施工記録方法まで法令に規定されていたのならば、電子的記録は開発されなかっただろう。法的に使えない技術開発をしても無駄だからだ。(ただし、土木などの他分野で開発されることはある。それが建築分野では法的に使えないだけであるが。)

 医療の発展は驚くほどである。従って医療技術の細かいところまで法令で規制することは無理である。一方、十年一日の建築技術は、幸か不幸か法令に規定することができた。その結果、建築設計分野の建築士は専門家としての職能を失い、法律に判断を乞う立場になり下がった。それでも、施工分野はまだ自由度があり、新技術、新工法は施工分野から生まれてきた。しかし、施工の自由度も少なくなれば、それも今後は期待できないかもしれない。

 「偽装」は明らかに、不正であり、職業倫理にも反し、違法でもある。それは、現在の状況でそうなのであり、何らかの制度的不備があり見逃されているというわけではない。医師も弁護士も、フォルクスワーゲンも、不正を働く。これらの不正は現行法令で取り締まれるのであって、法令改正が必要という議論になることは少ない。

 一方、建設業関係では法令改正にすぐにつながる。この原因は、建設業や建築士が社会的に信用されないことにある。そのため、法令の取り締りや指導が必須であると国土交通省が考えているようにみえる。なにしろ、建設業といえば手抜き工事が即座に連想される前近代的体質であると思われている。ただし、国が指導すれば近代化するかとういうと、そうとは限らないのが困ったところだ。

 小保方騒動の時も、研究者の不正を未然に防ごうと規制を厳しくする動きもあったが、むしろ研究活動を阻害するだけなので事後的な罰を厳しくするだけでよいという意見もあった。不正もあるものの、有意義な成果も多く生み出されており、事前規制は不正の抑止以上に成果を損なう恐れが大きいからである。

 建設業でも、実は予防的対策は不要なのかもしれない。姉歯マンションも旭化成建材マンションも結果的に出来た建物自体がそれほど危険というわけではなかった。本当に重大な危険を引き起こすような不正はすぐに発覚するので、頻繁には行われない。その種の重大な結果をもたらす不正やミスは自殺行為なので、あえて行う者は少なく、厳重な対策がすでになされている場合が多い。不正は大したことではないという軽い気持ちで行われ、実害以上に信頼関係を損なうことによる間接的被害が大きい。フォルクスワーゲン旭化成建材の不正は、甚大な金銭的被害をもたらすが、人命にかかわるような取り返しのつかない被害にはあまりつながらない。その種の不正は事後的に厳しく罰すればよいのではないかと思う。