気遣い

コロナ、コロナで鬱陶しいので鬱陶しいぐらい面倒くさい話を書いてみました。

 

togetter.com

 

 このtogetterのコメントの事例は、恐ろしいことにほぼすべて夫の無神経さへの不満です。これをバカにしてはいけません。つい先日もTVのバラエティを見ていたら、夫の無神経な態度に我慢の限界に達した妻が5年間口をきかなかったという恐怖譚の再現ドラマをやってました。実話かどうか知りませんがありえないことではないと思います。この夫婦は幸いにして仲直りしたそうですが、そうならない例も多いでしょう。

 

 はい、気遣いは大事です。Togetterの話に戻ると、「コーヒー飲む?」と聞かれた時に「いや、いい」と答えるのはアウトで、「今はいいや、ありがとう」と「ありがとう」の一言を添える気遣いが重要なのだそうです。おろそかにすると離婚の可能性が高くなります。確かにそういう気遣いは大事です。

 

 ただ、どこか引っかかるところがあります。夫(男)と妻(女)では考え方や物事の受け取り方が違います。だから相手の気持ちを察して「ありがとう」と一言添える配慮が気遣いというものです。妻(女)はちゃんと言葉に表すことが重要だと考えているのです。一方、夫(男)は、無神経で、「一々そんなこと言えるか、感謝の気持ちはあるのだから、それくらい察してくれ」と思うわけです。

 

 あれ、夫(男)と妻(女)では考え方が違うと思っていたけど、どちらも「言外の気持ちを察してくれ」というところは同じではありませんか。ではどこが違うのか。「相手の気持ちを察する気遣いは大事だ」までは同じです。違うのは察した後で行動に表すかどうかです。感謝の気持ちは言葉にしないといけません。「感謝の気持ちがあることぐらい察してくれよ、それが考え方や感覚の違う相手に対する気遣いだろう」という夫(男)の言い分は通じません。気遣いでは相手の気持ちを察するだけでは不足で、相手が喜ぶ行動をして完成します。

 

 しかし、行動すればよいというほど簡単な問題ではないのです。多くの夫(男)がそうであるように、相手の気持ちを察するのが苦手ならどうすればいいのでしょうか。相手の喜ぶ行為が分からなければ行動できませんからね。ここで安易に「分からなければ尋ねればよい」と考えるのは最悪です。「そんなことも分からないの。この鈍感野郎」となってしまいます。阿吽の呼吸というか読心術のような高度な能力が必要なのです。

 

 では、高度な能力を身に着けるにはどうすればよいかが次の問題になります。残念ながら王道はありません。「わび・さび」の精神を外国人に説明するのは簡単ではありません。一朝一夕に分かるものではなく、年月をかけて身に着けていくものです。そう、これは文化です。気遣いとは文化です。文化には背景がありそれを理解するには時間がかかるものです。

 

 なぜ時間がかかるのか。それは非合理的だからです。統一理論でズバッと割り切れません。矛盾する事例が絶え間なく勃発します。一つ一つ覚えるしかありません。文化というと高尚な趣がありますが、まあ簡単に言えば習慣です。

 

 非合理的だろうとなんだろうと習慣は無視できません。郷にいては郷に従えというではありませんか。そういうものです。面倒臭いし鬱陶しい。

 

 ところで、ふと思ったのですが、元NHKアナウンサーの鈴木健二さんはお元気なのでしょうか。兄の鈴木清順さんは2017年にお亡くなりになりました。ツィゴイネルワイゼンは映画館で観ました。怖くない怪談話でした。