■ 丸木舟を作る理由 所さんの目がテン!

 今日、先週に引き続き、科学番組「所さんの目がテン!」の「人類はこう作った丸木舟 (2)」を見ました。完成した丸木舟で西湖横断するシーンでは転覆するかと思いましたが、無事成功しましたね。元宮大工の方の指導で石斧などの縄文時代の技術だけで造るという企画でしたが、縄文時代の技術よりも、鉄器のありがたさを実感したというのが感想です。

 

 陶芸、製紙、織物などの古い伝統技術を取り上げその素晴らしさを伝える番組はよくありますが、縄文時代ともなると、むしろ現代の技術のすばらしさを感じさせます。目がテンの一味違うところですね。

 

 見ているときは見過ごしていましたが、後で完全な縄文時代技術の再現ではないことに気づきました。丸太から余分な部分を取り除く時に木目に沿って木の楔を打ち込み、一気に引きはがす工程がありました。この工程自体は縄文時代からあったのかもしれませんが、使っていた楔がきれいな形状でした。明らかに鋸を使っていますね。

 

 余談ですが、大学の建築歴史で鋸で造る挽板は案外新しい技術だと教わりました。古い寺社建築の扉は厚く、丸太に楔を打ち込んで割裂いた板を用いています。後に鋸で薄い板を作る技術が開発され枠組みに板を張り付ける框戸になります。

 

 それだけではありません。番組では、大木を切り倒す時に安全のため設けた足場には板が用いられていました。角材は製材所で製材したものです。最後の仕上げで表面を焦がすための火は多分文明の利器であるライターで着火しているでしょう。その他、ロープなどの副資材も現代技術なしには不可能なものばかりです。

 

 コンティキ号や沖縄ー台湾横断の草舟のように古代技術の学術的な再現のデモが行われることがありますが、そこでも現代技術は多少なりとも使われています。安全上の要請もあるので、学術的な証明への影響が少なければよいわけです。(実際には少ないとは思えないこともある)しかし目がテンは科学番組とはいえ学術的な証明をしたかったのではないでしょう。

 

 では、何が目的なのでしょう。もちろんテレビショーですからエンタメが一番の目的ですが、そこは科学番組なのでそれ以外の目的も欲しいです。と言うことで私の個人的希望で、以下勝手な推測をします。

 

 先ず思いつくのが、よくある現代科学技術批判の文脈です。「自然との共生」のようなことを言って、縄文文化をノスタルジックに賛美するというものです。しかし、古代の技術も自然と対峙する人工的な技術ですからそういう理由ではありません。縄文技術は現代技術より自然に近いだけで、五十歩百歩です。自然派には人気かもしれませんが却下です。

 

 次に、環境問題、省資源の文脈はどうでしょうか。しかし、丸木舟は板で作った現代的な舟よりはるかに木材資源の無駄遣いですから、これも違います。省資源と言う場合、石油の節約ばかり言われますが、木材も貴重な資源で、歴史的には木材資源枯渇で滅んだ文明(文化)もあります。環境に良いと木材を浪費したがる人がいますが、環境よりも林業振興の問題だったりしますからね。

 

 いささか性急で検討が不十分ですが、私の仮説は、「丸木舟作りはゲームである」です。サバイバルゲームやスポーツのサッカーなどと同じゲームです。サバイバルゲームは戦争や人殺しをしたいのではなく、ルールという制約を守っていかに勝つかを競うもので、それが面白いから行います。そうであるのは、実際に人を撃ち殺したりしないことから明らかです。サッカーも手を使わないことに重大な意味があるわけではないのは明白でしょう。ゴールキーパーは手を使いますし、スローインでは手を使います。手を使うゲームにはラグビーがありますが、できる人が体格的にかなり限られてきます。同じ場所で体の接触のあるゲームで手を使わないという制約ルールは、安全と面白さのバランス上絶妙です。サッカーの競技人口と観客人工が多いのには理由があるような気がします。

 

 そして、丸木舟作りゲームの鋸不使用という制約ルールも見ている視聴者にとって面白いのです。(選手にとっては少々厳しいので、サッカーよりラグビーに近いかも)とはいえあまり厳格に楔も石斧で造ると番組として時間がかかりすぎますし、足場の板も使わないと安全面でNGになります。そこでサッカーのキーパーやスローインと同じように、そこは例外とするわけです。

 

 このように書いてしまうと、視聴率至上主義を批判しているように受け取られる恐れがありますが、そういう意図はありません。それどころか科学番組として冒頭に述べたようにエンタメでありながら、昔は昔ですごいし、現代は現代ですばらしいと実感できる良い番組になっていると思いました。