自己責任論ですらない長谷川豊氏の主張

「『医療は全員に』は違う」長谷川豊アナが抗議の署名届けた患者女性と対談
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/18/yutaka-hasegawa_n_12534234.html

 長谷川豊氏の主張は一笑に付してよく、批判する必要もないと思いますが、自分自身の頭の体操の題材として、逐次、反論を考えて見ました。わかり切ったことをくどくどのべているだけのような気もしますが。

新聞で日本の総額の医療費の速報値(2015年度)が40兆円を超えてしまった、さらにこの1年間だけで1.5兆円増えてしまったという数字を見て、愕然としまして、このままでは普通に考えれば医療費が増えて行くし、すごく努力をしても多分現状維持。これはなんとか現状を変えなければいけないと。

 その通りです。問題意識はまっとうですが、問題解決の手段がとても受け入れられるものではありませんでした。動機がまっとうなことは手段を正当化しません。

医療費の中でも透析医療は非常に高い。それで取材を始めました。ブログを書いた日の取材で、病院に必ずしも態度がいいとは言い切れないような感じの患者さんがそれなりにいらっしゃって、その方々に看護師さんであったりとかお医者さんは非常にかかりきりになってしまって、他の多くの透析を受けている患者にまで手が回らなかったりとか。どうしてこういう態度を取られる方々がいらっしゃるんだろうと疑問に思いました。

 態度の悪い患者は透析患者以外でも多数います。透析患者に態度の悪い患者が多いというのは長谷川氏の印象に過ぎず、印象を裏付ける調査も統計もありません。セクハラは倫理観の欠如がもたらすとは言えても、透析がもたらすといえるだけの根拠がありません。また、精神的な病の場合、病識がなく治療態度が悪いことがありますが、そういう患者を見捨ててよいとは言えません。子供も治療に協力的ではありませんが治療が必要なことは言うまでもありません。

例えば、同じ保険分野では、車両保険の話をしてみたいと思います。脱法ドラッグを吸った、ラリった状態で車を運転して事故を起こした、そんな人物の車両保険が出るでしょうか。出る訳がありません。当たり前ですけれど、ある程度の線引きは全ての世界で存在すると思っています。どんな背景があろうが、限度というものが存在します。確かに、脱法ドラッグを吸った人は違法行為をしていません。心が弱かったでしょう。育つ環境で苦しい思いもあったかもしれません。でもそれをみんなのお金で出し合っている保険でカバーするかどうか話は別です。

 脱法ドラッグは違法行為です。明確な線引きが可能なので、免責とすることができます。それに対して、生活態度の良し悪しはあいまいです。技術的に生活態度を免責の判断基準にすることは不可能です。そこで、透析患者という線引きをしたのでしょうが、生活態度のよい透析患者の方もいるので乱暴な線引きです。自業自得といえる生活習慣病は他にもありますが、長谷川氏の理屈だと、これらも免責にしなければなります。

 保険の免責は違法改造車両など明確な事項に限られます。美食家は生活習慣病になる可能性が高く自業自得の面はありますが、オリンピック選手も傷害の可能性が高く自業自得です。しかし、趣味嗜好は自由であり違法行為のように制限できません。

運転免許には最初の6点から違反によって減点されていくシステムがあります。駐車違反ならマイナス2点とか。引かれていってゼロになると免許が一時停止になって、お金を払って講習を受けて6点が復活する。年間の交通事故死亡者数は16年連続で減少しています。細かい点数計算のシステムを作り上げた結果、ちゃんとした結果も出しています。こういう努力をしなければいけない。

 交通事故死亡者数の減少は、1)車の安全性が高まった 2)シートベルト着用率向上 3)大型車の減少 4)歩行者の安全対策強化 5)バイクの減少などが挙げられていて、運転免許の減点システムとの関係は不明です。減点という罰則が原因なら交通事故件数も大きく減少するはずですが、死亡者ほど顕著ではありません。

 病気になることを恐れない人が、保険金が出ないことをおそれて生活態度を改めるというのも期待できません。それに、どのようにして減点を実行するのでしょうか。個人の食生活や運動不足を把握することなど不可能で、全く現実味のない提案です。

なるほど、考え方によってはきっとそうですね。悪意を持って見てしまっている可能性もあります。そういう患者サイドに立った思いやりである可能性もありますね。なのでその線引きというのは難しいですね。

そうですね、自業自得の線引きっていうのは、あってないようなもんなんでしょうね。でも知恵は絞るべきです。

 そうです、心がけで線引きするのは困難です。無理に行えば恣意的な運用になります。仮に線引きが出来たとします。例えば、1日に摂取カロリーが○○カロリーを超えた人は免責とするのなら、恣意的にはなりません。しかし、非現実的であるのは前述の通りです。そのため、長谷川氏は透析患者という結果で線引きをしようとしており、自己責任論ですら逸脱しています。

 逐語的な反論に加えて、総論的なことも述べます。長谷川氏は保険制度が助け合いの制度であるという根本を理解してません。保険制度とはみんなでお金を出し合って、お金が必要になった人が使うという制度です。お金が必要になった理由は違法行為などを除いて問いません。自己責任や自業自得という考えとは対極を成す助け合いです。自己責任をいうのなら、自分で病気に備えて積み立てておくべきなのです。

 自分のお金を自分だけに使う自己責任論では線引きは不要です。しかし、保険制度ではプールしたお金を誰のためにつかうかという線引きが必要です。その線引きはどれだけ必要かという結果で行います。多く必要な人ほど多く使えます。これに対して、長谷川氏は多く必要な人には使わせないと主張しているわけです。これは、自己責任論でも保険の考え方でもないご都合主義的な考え方です。医療費を少なくしたいというそれ自体はまっとうな都合です。多分、多く必要とするような事態は心がけしだいで防げると能天気に考えているのだと思います。しかし、心がけではどうにもならない現実があるから保険が必要なのだと思います。