「被害者」の「味方」には「敵」が必要

sivad 2012-10-19 13:43:57
学術的な研究成果を主張するなら、論文など学術的な裏取りが必要なのは当然。一方、公害や新しい病態のような場合は被害が学術に先行するは当然だから、論文がないから被害がない、というのはバカげている。つまりは情報の性質によって考えるべきことは異なるということ。

 「低線量被ばくで鼻血」に関するsivadさんの1年前のツィートですが,「論文がないから被害がない」なんてバカげたことを誰かが言っているとsivadさんは思っていたのですね。「鼻血の原因が低線量被ばくであると言う論文はない」といっている人はいますが。

 しかし,本気でそんなことを考えているとはとても思えません。それよりも,被害者の「味方」として共に闘う「敵」が必要なのではないでしょうか。被害がないなんて誰も言っていないし,sivadさんだってそんな奴がいるとは思っていないでしょう。必要なのは「敵」を特定できる「被害の原因」でしょう。だから,論文(根拠)の有無に関わらず,「被害の原因」が無くては困るのでは。

水俣病チッソという企業
杉並病→杉並中継所(行政)
・鼻血→東電という企業
・MCS→化学物質生産企業

 つまり,先ず「敵」ありき。「敵」としては大企業や国がふさわしい。その「敵」が生み出すものが「原因」。従って,その「原因」が被害を引き起こしているという根拠(論文)は不要。根拠を待つというような悠長な態度では「敵」を攻撃できず,ますます被害者を増やしてしまう。その際,根拠無しに決めつける「原因」は,被害者に受け入れられ易いものでなければならない。そうでなければ,被害者を理解する味方として振る舞いにくい。

 「環境問題」ではなく「公害」という古い表現を使うのも,加害者である「敵」が明確だからでは。症状のことを「被害」と表現するのも,加害者である「敵」が存在するという前提があるからでは。患者さんは「被害者」ということでは。

 被害者と共に「敵」に立ち向かうという構図ですが,実のところ,「敵」を攻撃するために,患者さんを利用しているとしか思えません。「原因」と「敵」が見当違いだったら患者さんに被害を与えるけど。