もうだめだああああ − 最低基準、環境基準、指針

豊洲市場、地下の大気から水銀…国指針の7倍
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161015-00050018-yom-soci
都は9月29〜30日と10月6〜7日の2回、市場建物の1階部分と地下空間、屋外の大気を採取し、ベンゼン、シアン、水銀の濃度を調査。その結果、ベンゼンとシアンは基準を下回るか、不検出だったが、水銀は青果棟の地下3か所で、指針値(1立方メートル当たり年平均値0・04マイクロ・グラム以下)の5〜7倍となる0・20〜0・28マイクロ・グラム、水産卸売場棟の地下2か所でもわずかに指針値を上回った。

 この報道を見て「豊洲市場の地下の大気から指針値の最大7倍の水銀検出 もうだめだああああああああ」という反応をする人もいますが、落ち着きましょう。記事をよく見ると、「基準」と「指針値」と使い分けています。どういうことでしょうか。そのあたりを理解すれば、少しは落ち着けると思うので、私なりに説明します。

 「基準」と「指針値」の違いの前に、法令に基づく「基準」でも、環境基準と最低基準の違いがありますので、その説明を先ずします。「もうだめだああああ」となるのは「最低基準」と勘違いしていると思うからです。

 最低基準とは食品衛生法などで規制されている必ず守らなければならない基準です。守らなければ罰則があります。健康影響が出る閾値が有る場合はその値を安全率で割って基準値とします。食品の場合100程度の値になります。発がん性のような閾値が無い場合は、その量を生涯摂取した場合にがんになる確率をある一定値以下になるように決めます。大体10万人に一人というような確率です。基準違反があっても「直ちに健康への影響はありません」とアナウンスされるのはこのためです。最低基準ですら「もうだめだああああ」かどうかは程度問題です。

 これに対して環境基本法の「環境基準」は、前の記事にも書きましたが、再掲します。

環境基準について
http://www.env.go.jp/kijun/

 人の健康の保護及び生活環境の保全のうえで維持されることが望ましい基準として、終局的に、大気、水、土壌、騒音をどの程度に保つことを目標に施策を実施していくのかという目標を定めたものが環境基準である。
 環境基準は、「維持されることが望ましい基準」であり、行政上の政策目標である。これは、人の健康等を維持するための最低限度としてではなく、より積極的に維持されることが望ましい目標として、その確保を図っていこうとするものである。また、汚染が現在進行していない地域については、少なくとも現状より悪化することとならないように環境基準を設定し、これを維持していくことが望ましいものである。
 また、環境基準は、現に得られる限りの科学的知見を基礎として定められているものであり、常に新しい科学的知見の収集に努め、適切な科学的判断が加えられていかなければならないものである。

 つまり、現状では満足していない場合があり、それを改善していこうという目標です。現状で満足している場合は維持していくというものです。従って罰則はありませんが、法に基づくものではあります。また、「環境基準は、工業専用地域、車道その他一般公衆が通常生活していない地域または場所については、適用しない。」となっています。居住環境の基準です。

 大気汚染の「環境基準」は次のリンク先にあります。

1 大気汚染に係る環境基準
http://www.env.go.jp/kijun/taiki.html

 ところが、これを見ると、豊洲市場の地下ピット空気中で検出された水銀がありません。水銀は「基準値」ではなくて「指針値」だからです。環境基本法関連法令に直接規定されているものではなく、中央環境審議会の「有害大気汚染物質の大気環境濃度を的確に把握するため、国及び地方公共団体の連携の下に有害大気汚染物質の大気環境モニタリングを実施する必要がある。」という答申に出てくるものです。具体的な指針値は次のリンク先にあり、40ng/立米です。

 別添5 有害大気汚染物質のモニタリングのあり方について(モニタリング専門委員会報告)
http://www.env.go.jp/air/kijun/toshin/02-5.pdf
指針値とは、有害性評価に係るデータの科学的信頼性において制約がある場合も含めて検討された、環境中の有害大気汚染物質による健康リスクの低減を図るための指針となる数値であり、現に行われている大気モニタリングの評価にあたっての指標や事業者による排出抑制努力の指標としての機能を果たすことが期待されるものです。

 大気モニタリングの評価とは、なにかアクションを起こすべきかの判断を行うことです。アクションには、モニタリングを継続して様子を見るという経過観察もあるのではないかと思います。人間ドックで引っかかっても「もうだめだああああ」と悲観するのは慌てすぎです。また、モニタリング地点は、「環境基準」が適用される場所なので、居住可能性のある場所です。

 この数値は中央環境審議会の答申にも記載されています。

今後の有害大気汚染物質対策のあり方について(第七次答申)
http://www.env.go.jp/council/toshin/t07-h1503.html

の別添2−3 水銀に係る健康リスク評価について

 この答申の最後に「水銀の有害性評価・法規制等の現状について」という資料がついていて、「最低基準」とのオーダーの違いが良くわかります。数値のあるものを抜粋します。

(大気に関する基準)
 ・WHO 欧州事務局大気質ガイドライン
   1μg/立米(年平均)

(職業曝露に関する基準)
 ・労働安全衛生法に基づく管理濃度
    0.05mg/立米(水銀として、水銀及びその無機化合物(硫化水素を除く))
    0.01mg/立米(水銀として、アルキル水銀化合物(アルキル基がメチル基またはエチル基であるものに限る))
 ・日本産業衛生学会
    0.025mg/立米(水銀蒸気)
 ・ACGIH TLV-TWA
    0.025mg/立米(水銀蒸気を含む無機水銀)

(その他法令による指定)
 ・水質汚濁に係る環境基準
    0.0005mg/L (総水銀)
    検出されないこと(アルキル水銀)
 ・水道水質基準
    0.0005mg/L

 当然ながら、これらはモニタリング指針値(40ng/立米)より桁違いに大きくなっています。一番厳しい1μg/立米でも、40ng/立米の25倍です。毎年行われるモニタリングの実施結果によると、指針値を超えた値が時々検出されています。全く検出されないような値なら改善努力は不要ですから、このような値が設定されたのだと思います。

 以上をまとめると次のようになるかと思います。

1.「最低基準」は守らなければならないが、基準を超えても直ちに健康影響があるわけではない。
2.「環境基準」は法令に定められているが、現状で満足していない場合もある目標値である。
3.「モニタリング指針値」は「環境基準」達成するための大気モニタリングの評価にあたっての指標や事業者による排出抑制努力の指標としての機能を果たすことが期待されるもの

 「最低基準」と「環境基準」は、かなり違いますが、いずれも人が居住する環境を対象としています。豊洲市場の場合、汚染の発生源(地下水)に近く、居住可能な地点だと1階床面でしょう。しかし、万が一汚染地下水の上昇などを早期に検知するために、地下にモニタリング空間を設けて測定することにしたのではないでしょうか。言うまでもなく、モニタリング空間は居住空間ではないので、「環境基準」や「モニタリング指針」の適用外です。汚染の可能性を想定していた場所です。

 水銀が検出されたのは決して喜ばしい事態ではありませんが、もしこの空間がなかったら、まだ何もわかっていないはずです。モニタリング空間が機能したといえるのではないでしょうか。次に行うべきことは、観測の継続か対策を立てることで、「もうだめだああああああああ」と絶望することじゃないと思います。*1

*1:対策を立てるには、水銀がどこからやってきたの知る必要があります。ところが、もっとも怪しいピットのたまり水から水銀は検出されていません。照明器具の水銀由来という可能性もなきにしもあらずですので、観測の継続は最低限必要かと思います