配管ピットとは

 豊洲市場の「技術会議」では、地下空間利用について議論されている。その資料には「・専門家会議において、揮発性有機化合物が建物内に入る恐れがあるため、地下施設はつくらない方がよいという指摘があり、ターレット置場を地下から地上へ変更した経緯がある。」と記されている。その結果、否定されたのだろう。ただし、否定されたのは、駐車場やターレット置き場などの人が日常的に利用する空間である。当然、床面積に勘定されるものだ。否定されたのも、揮発性有機化合物の人間への影響を考慮したものだろう。

 これに対して、配管ピットとは、点検以外には人が入らない場所である。床面積にも入らない床下みたいな空間である。戸建て住宅でも床下には電気配線や水道管が走っているが、そのようなものだ。青果棟のピットには底板のコンクリートが無く、砕石がむき出しらしいが、要するに、その程度の空間なのである。また、湧水ピットを兼ねる場合もある。地下はどうしても水が浸出してくるので、一か所に溜めて、適時排出するためである。人間が活動する空間ではない。もちろん配管ピットにするのも空間利用に違いはないが、揮発性有機化合物を理由にしているなら居住空間と解釈するのが普通だろう。空間には有毒ガスを扱う実験室もあるし、汚物をためる便槽もある。

 配管ピットは外部から配管や配線を建物内に引き込むスペースである。建物外部の配管配線は、通常、地中か共同溝にある。豊洲のような大規模開発された地域では大抵共同溝が整備されている。この共同溝は配管ピットと同じようなものだ。配管ピットが駄目なら、共同溝も駄目で、埋設配管配線にしなければならないだろう。

 また、土壌汚染対策としてはよくわからないが、建築的な意味で、埋設とピット・共同溝のどちらが高級な仕様かと言えば、圧倒的にピット・共同溝である。第一にメンテナンスが容易である。配管からの汚水漏れ、ガス漏れがあった場合の対処もピットがあれば迅速にできて安全である。埋設だと、漏れによる汚染が生じてもすぐにはわからないし、その個所の特定も困難である。対処も土の掘削を行わなければならず大変である。

 あくまで、素人考えだが、豊洲市場の汚染対策としても、ピット方式の方が優れていると思う。今、ピット内のたまり水が問題になっていて、これが土壌に由来する汚染水かどうか現時点では不明だが、仮に汚染水としよう。もし、ピットが無ければ。この汚染水は盛土に浸透していて、人間に影響する地上に現れるまで気づかれることはないだろう。また、排出処理も面倒である。ピットならば、影響が出る前に、くみ上げて処理できる。有毒ガスだとしても、盛土の場合、地上の建物の居室に漏れ出すまで検出が難しいし処理も面倒だ。ピットならば、地上の居室に影響する前に検出できるし、ガスの換気も容易である。ただ、ピットのような密閉空間にガスが高濃度に溜まると危険であるが、センサーでモニターすれば早期対応可能である。(豊洲で問題になっているのはベンゼンだが、蒸気比重は2.8で空気1.0より重いので、ピット底に溜まると思われ好都合だ)ピットの酸欠や有毒ガスの事故は過去に起こっていて、注意や対策は周知されている。地上の居室に影響するはるか以前に検知できて安全そうである。もっとも、豊洲市場でモニタリングしているか知らないし、盛土には汚染土壌対策として特別な意味があるのかもしれないので、私が間違っている可能性はもちろんある。

 前段の最後の文は、一応、保険を掛けただけで、現時点ではピットが優れていると私はかなり強く考えている。しかし、もはやそういう問題ではなくなっているようだ。安全だとしても、約束通りにしていないのはけしからんという批判であるが、約束を機械的に文字通りに扱うか、趣旨を理解した上で扱うかの違いがある。ただ、趣旨を理解するには、判断が入ってくるので、信用されていない場合には許されないということを前の記事に書いた。そして、豊洲問題では東京都は信用されていないようだ。そうなると、約束違反はこの後も続々と出てくるだろう。建築のような複雑な事業では、文字通りの約束履行は普通は不可能だからだ。「基本方針」とは基本から外れる例外が幾らでもあるから、大筋を決めた基本なのだ。したがって文字通りの約束を「基本方針」ですることは危険極まりない。文字通りの約束は例外を網羅し詳細の設計まで決めた膨大な工事発注図書でなければできない。建築に関わらず、契約書は細かい文字でいっぱい書いてあるのはそういう事情があるからだ。

 いずれにせよ信用を失わないことが大事で、信用回復は恐ろしく困難とはよく言われることだが、その通りだとつくづく思う。