数学と現実は違うか

確率に関してのやりとり
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 中島哲史さんは、最終的に言いたい結論を次のように書いています。

 数学的抽象的世界の真実と現実的経験世界の真実は相反するもので、哲学は一見すると抽象的な概念を玩ぶ数学的世界に属するようにも見えるが、あくまでも現実的経験世界の中で考え続けなければならないのではないか。

 この主張の具体例として、「数学的世界では、サイコロを6000回振れば、ちょうど1000回、1の眼が出るが、現実世界のサイコロを6000回振ってみると1は998回、2は1003回等々となるのが普通である。」という間違いをあげたため、積分定数さんから突っ込まれたわけです。さすがに、この間違いを言い繕うことは難しいので、「1の眼のが出る回数の期待値(平均値)はちょうど1000回になると言っているのであって、それくらい文脈から理解する読解力もないのか」と中嶋さんは反論しました。不思議なことにこの反論に賛同するコメントもあります。

 でも、二重の意味で「文脈から期待値だとわかる」というのは無理があります。一つは、中嶋さんは、はっきりと「サイコロを6000回振ったとき、出る目の数はどれも1000回ずつになるというのが数学の理論に基づく結論である。」と書いているので、文脈云々は無理です。第二に、じゃあ「期待値」ならば、数学的世界と現実的経験世界の相反する例になっているかというと、そうではないことです。

 それでも、実際に出る回数や期待値は、主張の例として適当ではないにしても、他に例はあるはずで、中嶋さんの主張自体はそれほどおかしくないと考える人もいるようですが、私はそもそも、それが間違っていると思います。私が考えるに、数学的抽象的世界の真実と現実的経験世界の真実は相反しません。なぜなら、そもそも言及している対象が違うので、相反しようがないからです。「それぞれの眼が出る可能性が同じサイコロならば、1の眼がでる確率は1/6である。」という数学的言及と、「現実には、正確に1の目が出る確率が1/6のサイコロは存在しない。」という現実世界の言及は別のことを言っています。「正確に1の眼が出る確率が1/6のサイコロが現実世界に存在する。」という数学的言及があるのなら、相反しますが、数学が言っているのは「どの眼が出る可能性も同じならば、それぞれの眼が出る確率は1/6である。」だけです。

 もちろん、数学的世界は現実的世界とは違いますが、哲学的世界、仏学的世界、社会学的世界、政治学的世界、文学的世界だって現実的世界と違います。すべての学問は、現実的世界を近似しますが、近似する現実の局面が異なるので、どの世界が良い近似であるとも言えません。

 初歩的な確率の話に戻ると、「サイコロを6000回振れば、ちょうど1000回、1の眼が出る」ような数学的世界は存在しないことは言うまでもありませんが、一の眼の回数の期待値(平均値と言った方が分かり安いので以下平均値という)は数学的世界で、ちょうど1000回です。では現実的世界の平均値はちょうど1000回にならないのでしょうか。そもそも現実世界の平均値って何でしょうか。その前に数学的世界の平均値の意味を考えましょう。6000回振る試行を1セットしても、1の眼がちょうど1000回でるとは限りません。しかし、多数セット行い、1の眼が出た回数の合計をセット数で割れば、1000回に近づいて行きます。その極限が平均値の1000回です。これに対応する現実の平均値はありません。なぜかって、無限セット行うことは不可能ですから。

 無限セット行うことは不可能ですが、1セットは可能です。また、1セット行う前に何回出るだろうと予想することも現実にはあります。その現実の予想の妥当な見積もりを与えてくれるのが数学的世界の平均値であり、現実に役に立つものです。現実に1セット行った結果は1000回になるとは限りませんが、それは数学的世界の平均値に対応するものではありません。

 以上のことから、数学的世界と現実的世界に相反することなど全くないことが分かります。「数学的平均値はちょうど1000回になるが、現実に1000回になることはない。」というのは、平均値の意味を理解していないだけの無意味な主張です。それでも、数学的平均値は、現実世界で予想する際に最もよい指標を与えてくれるもので、現実に役に立ちます。

 数学(理論)と現実は違うとはよく言われる言い回しです。例えば「1+1は2だが、二人の人間が力を合わせれば三人力にもなることもある。」などと言います。しかし、「二人の人間が力を合わせても三人力にはならない」などいう数学(理論)はありません。この種の「数学と現実は違う」論は、単に数学(理論)を理解していないだけです。数学は抽象的な概念を玩んでいるわけではなく、現実世界でも役に立ちます。玩んでいるように見えるのは、抽象化・一般化が高度になって、具体例との関係が見えにくくなっているだけのことです。むしろ、高度な抽象化によって、現実世界への適用範囲は広がります。歴史的に現実世界の要請で数学は発展してきました。確率理論も現実世界の不確実な状況での戦略や判断で用いられます。ギャンブルの払戻金の計算や保険料は分かり安い実例ですが、それに留まりません。