怒り

オバマ氏歓迎一色に違和感 ゴジラ描いた核の恐怖どこへ
http://www.asahi.com/articles/ASJ5V3GMDJ5VUPQJ001.html 

 「反発や怒りが出てこなかったのが不思議でした。被爆者がアメリカに恨みを抱くのはごく自然なことで、今回も『ふざけるな』と思っている方がいたかもしれない。しかし、そうした怒りが、社会の反応として出てこない」

 何かのおりに書いていますが,学生の頃,全共闘の闘士に「怒りなのだ」と怒鳴られた嫌な思い出があります。「理屈じゃないんだ,感情なのだ」と言いたかったのだろうと思いましたが,感情は自然とわき起こるものです。「あんたが怒ったからといって,なんで俺が怒らないといけないのだ」と気分が悪くなったことを思い出します。

 確かに,行動を起こすのは感情ですから,行動を扇動する者が感情を重視するのは理にかなっています。結局,学生の私も扇動に乗せられて怒りましたよ。ただし,怒りの対象はその全共闘の兄ちゃんでした。扇動も難しいものです。怒ってりゃいいというものではない。

 政治的な立場は色々有りますから,怒りの対象も様々です。一方で誰でも怒るのが普通の状況なのに感情が麻痺する病的な症状もあって,この場合は治療の対象です。扇動というのは,政治的な怒りを誰でも感じる怒りにすり替えているのじゃないでしょうか。

 原爆のような残虐なものを落とされれば怒るのは当然だと思います。しかし,70年以上経過した時代のオバマ氏に怒りを感じるのとは全く別です。それは政治的な怒りでしょう。だから怒らない立場の人がいても不思議ではないと思います。

 怒りというのは感情ですから理由を説明する必要がありません。しかも,理屈による説得よりも強力で効果的な扇動になります。だから,非常に多く利用されているんじゃないでしょうか。

悲惨な被爆者をもたらした米国への怒り,
青春を奪われた薬害被害者を生み出した医療への怒り,
故郷と健康を奪った東電への怒り,
地震被災者を生み出した政府への怒り,
庶民の生活苦をもたらした政治家への怒り

これらは一々もっともです。怒るのが普通です。ただ,その怒りの後の対処はさまざまです。加害者に怒ることと,被害者に同情すること,加害者に怒っているひとに同意すること,被害者に同意すること,これらは別。この記事も多少,怒って「怒ってりゃいいってもんじゃない」と書いている。