言葉の不備 ー だじゃれ

 スマリヤンの「この本の名は?」にサンタクロースの実在を証明する話が出てきます。

「この文が真ならば,サンタクロースは実在する。」

 この文が真ならば,確かにサンタクロースは実在する。(なぜなら,この文が真ならば,この文が真ならばサンタクロースが実在するということも真でなければならず,これらから,サンタクロースが実在することが導かれるからだ。)したがって,この文の述べていることが成り立つので,この文は真であり,この文が真ならばサンタクロースが実在することが導かれる。

 一読して変な感じですが,どこが変なのか,私なりの解説は次の様になります。

「この文が真ならば,サンタクロースは実在する。」という文をAとします。すると,この証明もどきは次のような論理展開をしています。

1.文Aが真だと仮定すると,文Aより,サンタクロースが実在することは真である。
2.上記1.は文Aそのものであり,文Aが真であることが導かれた。
3.文Aが真であるなら,文Aよりサンタクロースは実在する。

 つまり,文Aが真であるという仮定から,文Aが真であることと,サンタクロースが実在することを導き出しただけで,無条件でサンタクロースが実在することは証明されていません。じつは,1.だけでも同じことですが,それだと詭弁と簡単に分かるので,2.で文Aが真であることの証明を加えているのだと思います。それも「文Aが真ならば,文Aが真である」というトートロジーに過ぎませんが。

 これで一件落着かというとそうではありません。証明はこの先も以下の様に続けられます。

 文Aが偽だと仮定すると,「文Aが真」というのは偽となり,サンタクロースが実在してもしなくても文Aは真になる。(Xが偽ならば,「Xならば,Yである」はYの真偽に係わらず真である。)つまり,文Aが偽という仮定から文Aは真が導かれて矛盾する。従って,文Aは偽ではない。これで,文Aは真ということになり,サンタクロースは実在する。(証明終わり)

 いやいや,まだ証明は終わっていません。「サンタクロースは実在する」は任意の文に置き換えられますから,「サンタクロースは実在しない」でも構いません。すると実在すると実在しないの両方が導かれることになり矛盾します。今度は否定する仮定が見あたりませんのでパラドックスになっています。いやいやいや「文Aは真か偽である。」という仮定があるじゃありませんか。

 このパラドックスを解消する方法は色々有ると思いますが,一つの方法は,文Aは真とも偽とも言えない無意味な文とすることです。取りあえず偽でないことは証明出来ているので,真だけれども証明出来ないと考えても良いかも知れません。そう考えれば矛盾は生じません。

 真でも偽でもないというと机上の空論をこねくり回しているようで納得しがたい感がありますが,現実には無意味な文字列はいくらでもあります。ただし,それは文字通り意味がとれないので,矛盾を生み出すこともありません。ところが,言語には色んなものがあり,同じ発音(発音記号の文字列)でも意味が違う場合があります。そのため,様々な行き違いや笑い話が生まれます。日本語の「カツオ」を聞いてイタリア人がニヤニヤするような話です。パラドックスもそれに似た言葉使いの間違いのような気がします。気がするだけですけど。