名称がないと考えられない。名称があるとそれしか考えられない

f:id:shinzor:20210711132952p:plain

  バカバカしいと言わずに、小6の女の子の疑問に答えてみました。

先ず、「1人あたり7個」が何を表しているか考えるため、問題文の状況を図にしてみます。

 f:id:shinzor:20210711132218j:plain

 図は、7個のクッキーが5行並んでいるとも、5個のクッキーが7列並んでいるとも言えます。掛け算は「行」×「列」あるいは「列」×「行」です。簡単明瞭です。図の〇印は「行」の中だろうと、「列」の中だろうと、クッキー1個であることに変わりはありません。「列」の中では「人」に変化したりはしません。

 この「行」や「列」の長さを算数教育では「ひとつ分」と言う専門用語で呼ぶようです。「行」の長さを「ひとつ分」と考えた時には「列」の長さは「いくつ分」という分かりにくい専門用語で表します。難しいですね。

  更に問題になのは、具体的事例では「行」や「列」に名称がない場合があることです。クッキーの例では「行」には「人」という名称があるため、「行」の長さは「一人分のクッキーの個数」と言うことができます。ところが、「列」には名称がつけられていませんので「列」の長さを簡潔に表現するのが難しくなります。

  その結果、「1列あたり5個」の「列」に問題文にある「個」を機械的に当てはめたのでしょう。そうすると問題文に残っているのは「人」だけなので、「1個あたり5人」となってしまうわけです。今の小学校は、小6の女の子だけでなく、小学校の先生や東大卒の人ですら混乱しそうな教え方をしているんですね。私が子供の頃は簡単でしたが。

   人間の思考は言葉に相当、制限されます。名称のない「列」は考えることができなくなり、名称のある「人」しか考えられなくなります。混乱を防ぐには、「ひとつ当たり」などという言葉は一旦忘れて、行列の図を思い浮かべれば済みます。高度な数学になると、日常用語に相当するものがない専門用語が出てきます。その概念をイメージするのは私のような凡人には困難です。しかし、そのような概念を作り出した数学の天才は、イメージが頭の中に先にあるようで、後からそれに名称を付けているのではないでしょうか。ならば、そんなイメージのない凡人が言葉をいくら見ていてもなにも理解できません。

 クッキーの問題でも「列」に名称を付けることはできます。例えば、一人に配ったクッキーにNo.1から7までナンバーを付ければ、「列」は「ナンバー」になり、「列の長さ」は「ナンバー当たりのクッキー個数」になります。

 「列」に名称がつけられていない代表例に「単価」×「数量」=「価格」があります。この場合は、「行」には「数量」という名称があり、「1行当たり価格」を意味する「行」の長さに「単価」という名称があります。しかし「列」には名称がなく、「1列当たり価格」を意味する「行」長さの名称もありません。

 「速さ」×「時間」=「距離」も同様です。「行」には「時間」という名称があり」、「1行あたり距離」を意味する「行」の長さに「速さ」という名称があります。しかし、「列」や「列」の長さは名無しです。「数量」や「時間」も「ひとつ当たり」とすることもできますが、言葉での表現がややこしくなります。

 しかし、行列のイメージがあれば、単純かつ自由自在に考えることができます。天才的な数学者でない普通の子供でもできます。言葉(名称)は思考の助けになる便利なものですが、言葉(名称)がないものは無視してしまいがちになる弊害もあるのじゃないでしょうか。