「ニセ科学撲滅運動」

●造語レッテルによる藁人形論法

ニセ科学撲滅運動」が「ニセ科学」に堕した5年
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/42697009.html

ニセ科学撲滅運動」とは初耳でしたが,それもそのはず,さつき氏の造語でした。それは,次の記述から分かります。

「この、科学の啓蒙を率先して行ってきたグループのことを「ニセ科学批判クラスタ」と呼ぶ人もいるようですが、彼らがおこなってきたことを、ここでは「ニセ科学撲滅運動」と呼ぶことにしましょう。」

 「ニセ科学批判クラスタ」でも良いのに,わざわざ「ニセ科学撲滅運動」と言うのかその意図は不明ですが,両者では意味合いが違って来ます。「ニセ科学批判クラスタ」は単なる集団,烏合の衆という印象ですが,「ニセ科学撲滅運動」となると,組織的な政治運動という趣きがあります。

 実態はどちらに近いかといえば,前者です。ニセ科学批判者の多くは個人的に活動していて,組織的な「運動」はあまり有りません。彼らの主張は様々で十把一絡げでくくることはできません。とはいえ,ある程度の共通点もあって,その一つが「ニセ科学は撲滅できない。ビリーバーの説得も無理」という認識だと思います。犯罪でない場合は,「麻薬撲滅運動」のような取り締まりもできません。ニセ科学の存在前提で,被害を受けない防衛策が中心です。もっとも犯罪も撲滅は不可能ですが。従って,仮に名付けるにしても「ニセ科学撲滅運動」は不適切な名称です。不適切な名称による雑な括りは,藁人形論法批判に繋がります。

 案の定,さつき氏の主張は藁人形論法になっています。原発事故がらみの除染ビジネスに入り込んだニセ科学の批判もニセ科学批判者はしますが,多くはデマや不正確な情報への批判です。デマや不正確な情報はニセ科学とは少し違います。日頃ニセ科学批判をしている人が,原発事故問題についても発言しているだけで,ニセ科学が主題ではありません。また,原発に肯定的な人もいれば,反原発の立場の人もいます。

 「ニセ科学撲滅運動」と言ってしまえば,そのバックボーンとなる「ニセ科学批判主義」なる思想が存在するかのような印象を与えてしまいます。その架空の思想は原発肯定,東電擁護,被曝否定という藁人形となるわけです。実際には,そういう人もいれば,そうでない人もいます。批判は,個別具体的にする必要がありますが,藁人形思想を持ち出すことで,そんな七面倒くさいことは不要になります。頭を使わない雑な批判でも形になるありがたい効能付です。

●「ニセ科学撲滅運動」がないがしろにしているという「証拠」なるものとは

 批判は個別具体的にと書いた手前,さつき氏への批判も具体的にしておきます。さつき氏は,「ニセ科学撲滅運動」は証拠を無視するニセ科学であると主張しています。そもそも原発の是非や避難の判断などは,政策や個人の行動の判断の問題であって,科学だけで結論がでる事柄ではないので,ニセ科学という批判は的外れの感があります。とはいえ,判断材料に科学を利用することもあるので,材料の解釈に間違いがあるという批判は有り得ます。では,さつき氏の言う「無視された証拠」とはどのようなものか吟味してみます。

1.SPEEDIが活用されなかった理由の事実誤認がある。

 さつき氏は,政府はパニックを怒れて,SPEEDIの予測を隠ぺいしたと思っていますが,そもそもSPEEDIは予測していません。放射性物質の放出量が分からなかったので,放出量を仮定した試算しかできていませんでした。混乱を招くだけのものを公表しないのは普通です。要するに,SPEEDIは役立たずだったのです。汚染の絶対的な程度は不明でも相対的な軽重はわかるので避難に役だったという意見も有りますが,それなら,風向きの気象予報で十分です。そう言う情報こそ重要ですが,現実にはそう言う情報は強調されずに,風下に避難した人も多くいました。SPEEDIの予測という存在しない情報ではなく,存在する有用な情報が十分に提供されなかったことを批判すべきです。

2.「メルトダウンじゃないだす」発言の事実誤認がある。
 
 菊池誠氏の「メルトダウンじゃないだす」発言は,実際に生じているメルトダウンを否定するデマであったとさつき氏は思っています。しかし実際は,「メルトダウンという定義の曖昧な用語は使わない」という発言でした。「メルトダウン」と聞いて,手の付けられないチャイナシンドロームのような事態と思ってしまう人もいるので使わないと菊池誠氏は宣言したのが「メルトダウンじゃないだす」でした。当時は炉心に損傷があることは分かっていて政府も東電も認めていました。ただし,正確な程度は不明でした。

3.避難生活を余儀なくされている実害を否定している「ニセ科学撲滅運動家」などと言うものは存在しない。

 さつき氏は「そのことによって避難生活を余儀なくされていることは原発事故によるまぎれもない実害です。」と述べていて,それを否定する「ニセ科学撲滅運動」家を匂わせていますが,そんな運動家は存在しません。避難が必要な程の汚染はないと言った科学者もいません。避難不要と言っていた匿名コメンターは存在しましたが。


4.不安情報に煽られて自主避難した人は存在する

 自主避難者に係わる問題として,「しかるに、現状を正当化して、本来不必要な避難であり、そうした不幸の一切は被曝の不安を煽って反原発運動に利用しようとしている勢力のせいであると主張している科学者達がいます。ほんとうにそうでしょうか。」とさつき氏は述べています。「勢力」の存在を主張した科学者は私は知りませんが,不安を煽る情報を流した者は少なからずいたのは事実です。そのようなデマ情報発信者を批判した科学者も大勢いました。不安を煽る者と,実際に煽られた人がいたのも事実です。なにしろ東京から避難した人もいましたし,個人的にもつくば市から引っ越した人も知っています。その人は,早川マップを自席の横に貼っていました。


5.被曝の安全率の誤解がある。

 さつき氏は,「安全率が取っ払われた環境に甘んじなければならない科学的な根拠など存在しません。」と述べていますが,「安全率が取っ払われた環境に甘んじなければならない」と主張する「ニセ科学撲滅運動家」も存在しません。ただし,安全率は一律ではなく,状況に応じて違ってくるものです。一般人と職業従事者では違いますし,常時と非常時でも違います。常に常時の一般人に対する安全率を求めるのは現実的ではありませんし,好ましくも有りません。帰還が伸びたり,除染費用が莫大になったりとかえって避難者の被害を大きくします。具体的にそれらの安全率を決めるには専門的に緻密に行う必要がありますが,少なくとも,安全率が一つしかないという理解は浅薄です。

 「ニセ科学撲滅運動家」は,以上のようなSPEEDI予測やメルトダウンや被曝不安デマや安全率などに関する事実をねじ曲げるという非科学的態度をとっており,かれらこそ「ニセ科学」者である。これが,さつき氏の主張ですが,さつき氏の方が,事実の理解が雑で浅いといえます。
 
 最後に,「ニセ科学」という言葉の使い方も,さつき氏は雑です。単なる間違いだけでは,ニセ科学とは言えません。議論のある事柄ではどちらかが間違っていますし,予測が外れることもありますが,批判されることではありません。ニセ科学とは,既に科学的に決着が付いたことに反する主張です。また,原発の是非という政治問題や避難という個人的選択に科学的正解は有りません。その判断材料として科学が用いられることはあっても,最終的な判断は科学ではありません。「原発こそニセ科学であった」という物言いは,科学万能主義寸前かなと。