御用学者

 政治家が失言のため辞任に追い込まれることが時々あります。辞任は当然と思われるものもあれば,揚げ足取りに過ぎないようなのも。ネット上でも似たような状況が見られ,失言の指摘にとどまりません。ネット上では辞任に追い込めないので,代わりかどうか,御用学者呼ばわりされます。気分は良くないでしょうね。

 次は例え話ですが,御用学者と批判を受けて当然だと感じるのではないでしょうか。

 食品汚染事故があり,世間に遺伝的影響の心配が広がった際に,「遺伝毒性はないので過度に心配しないように」という発言をある学者がしたが,この発言は間違いで,「大企業の食品会社の御用学者である。」と散々批判された。

 しかし,続きがあります。

 ただ,この間違いがどのようなものだったかというと,「遺伝毒性」という専門用語が誤解を招きやすいもので,その学者は,子孫への遺伝的影響がないという意味で「遺伝毒性はない」と言ったのだ。しかし「遺伝毒性」という専門用語は,子孫に遺伝しないものの含んでいる。子孫への遺伝はないというこの学者の認識は正しかったのだが,確かに,言葉づかいは間違っている。

雑感500-2009.12.8「遺伝毒性についての誤解」

 その学者は,自分の間違いに気づき訂正したが,「遺伝毒性」という言葉は誤解を招くので使わない方がよいと言い続けた。すると,「間違いを認めない御用学者」と執拗に批判された。

 「メルトダウンじゃないダス」のようなキャッチーな言い方は,その意図を無視され後々まで批判されます。私は,リアルタイムで見聞きしていたので,チャイナシンドロームのようなことはなく,臨界を伴わない炉心損傷程度だから,メルトダウンというべきでないという意図だと理解しました。ところが,臨界を伴わない炉心損傷もメルトダウンというらしくて,批判を受けたのだったと思います。後でこのフレーズだけ見て,菊池誠さんを真正御用学者だと思っている人もいるかもしれませんね。

 「遺伝毒性」にしても「メルトダウン」にしても,言葉のイメージに惑わされず,「正しく恐れよ」ということで,「言葉」よりも「実態」を見よという意味合いを含む発言です。ところが,そういう意図の発言も言葉だけしか見てもらえずに批判されるわけで,意図を伝えるのは難しいです。

 それに,「正しく恐れよ」というと大抵,御用学者と言われますね。上で遺伝毒性の解説をしている中西準子先生ですら御用学者やら市民運動の裏切りもの呼ばわりされています。体制側が酷い場面で正しく恐れると反体制的になり,体制がまともな場面で正しく恐れると体制迎合的に見えるというだけだと思うのですけどね。「大衆」が勝手に英雄と担ぎ上げ利用するも,利用できなくなると裏切りものと叩き出すのは,文学や映画でありそうなシーンです。

 もう一点感じるのは,正確な言葉使いにこだわり過ぎると,道義反復みたいになって,正しいけれど社会に対してなんの作用もしないという面があるんじゃないでしょうか。その逆が奇をてらった釣りで,なかなかバランスが難しいのですけど。