豊洲市場構造設計批判の「相対性理論は間違っている論」との共通性

 豊洲市場の構造設計への批判にはいろんなレベルがある。抑えコンクリートの重量の間違いは,明白な日建設計のミスである。軽微なミスであり,実際に補強を行う必要も無く,計算書を修正すれば済む程度の良くあるミスだが,杓子定規にいえば明らかな法令違反であり,言い逃れは出来ない。立小便といえども犯罪は犯罪である。

 これに対して,地下部分を第1層としない地震力の設定や,1次設計の杭に用途係数の割り増しを行わないことは,ミスでも法令違反でもない。実質的な安全性でも,形式的な法適合性でもなんら問題は無い。建築主事も建築学会も日本構造技術者協会も建築士事務所協会も全く問題にしていないし,あの市場問題PTですら,これを問題視するのはさすがに控えている。

 法的に適合しており,技術的にも現在の建築界の標準見解に合致していると分かってもなお,批判を続けようとすると,日建設計のミス(建基法違反)という指摘を超え,建基法の規定や東京都の構造設計指針がおかしいという指摘にエスカレートしてしまう。そして実際にも,一部の批判者はそこに踏み込んでしまっている。杭の保有水平耐力計算が不要なことや,用途係数が1次設計には適用されないことは明記されており,解釈の余地は全くないのに,なぜそんなに頑張るのであろうか。「東京都は,横浜市の指針や静岡県の条例に従うべきだ」と地方自治を蔑ろにするようなことまで主張しているのを自覚しているのだろうか。

 この状況は「相対性理論は間違っている論」を連想させる。相対性理論は日常感覚からすれば相当,違和感があるどころか非常識ですらある。専門家ではない素人が間違っていると思っても不思議はない。素朴な感情としては十分理解できる。しかしながら,素朴な常識とは,日常生活レベルで有効に過ぎず,相対性理論の効果が表れる宇宙スケールの世界では通用しないのである。専門家による計算や実験や観測によれば相対性理論が正しいことは確認されている。「相対性理論は間違っている論」者は,相対性理論を否定するにとどまらず,現代物理学を根底から否定しているのである。

 同様に,地盤拘束のない部分を基礎として扱うのは,日常感覚としては違和感があるだろう。しかし,それはあくまで感覚に過ぎない。構造力学や振動学の理論で計算したり,実験で確かれば問題無いと分かることなのである。これを否定することは現代構造力学を否定することになる。また,建築基準法の規定にも解釈の余地なく合致しており,豊洲市場建物の設計を否定することは,現行建築基準法を否定することにもなる。

 現行法令にも間違いはあるので,指摘は結構であるが,どうもそこまでの覚悟を感じられない。仲間内での法令の解釈論争に興じているように私の眼には映る。例えば,建築基準法では地上と地下部分に分けて地震力の規定がある。構造計算上の地上と地下の定義はないため,解釈論争に持ち込めるのである。しかし,地上と地下の区分は,設計者の利便のために地震応答計算をせずとも簡単に算出できるように区分しているにすぎない。地上だろうと地下だろうと振動学の理論上の本質的な区別はない。地盤拘束があれば地盤を拘束バネにモデル化して解析して地震力を計算すればよいし,拘束がなければ,バネなしで解析すればよいだけである。地盤拘束がない場合に,建基法の地下部分の地震力を適用することに疑義があれば,基本に立ち返って計算して確かめればよいだけである。

 しかし,それをせずに「周辺地盤の拘束がないのに,地下と扱うのはおかしい」と感覚的で不毛な定義論争に興じているだけだ。それどころか,日建設計が計算してくれないと甘えたことまでいっている。間違いと批判するのなら,自分で計算して指摘すべきである。批判者以外は,建築主事も建築学会も日本構造技術者協会も建築士事務所協会もそんな計算するまでもなく問題無いと考えているのである。それを覆したいのなら,自分が労を厭わず計算すべきだ。わたしでさえ,超概算なら行ったのである。

 豊洲市場の構造設計批判は,専門家の観点ではなく,素人的日常感覚に基づいている。それだけに専門家以外に訴える力があり,信じてしまう一般の被害者を生み出している。「EM菌」や「水伝」が行政に入り込んでいる現実を思えば軽視できない。

 特に,軽視できないと思うのは,重要度係数(用途係数)の設定である。これは,技術的に一つの正解があるというものではなく,建築主が決めるものだ。例えば,住宅品確法の耐震ランクは,これでなければならないという正解があるわけではなく,建て主が選ぶものである。予算と得られる安全を衡量して決めればよい。個人の財産ではこの衡量はそこそこ妥当に行われる。住宅の耐震性能は高いに越したことはないが,住宅ローンの支払いが滞り,差し押さえられては,元も子もない。安全のために使うお金は,住宅以外にも車,医療,食事など諸々ある。

 ところが,公共的施設になるとこの判断が怪しくなる。安全のための費用は税金で賄われるが,なぜか納税者であるにもかかわらず忘れてしまうらしい。無被害,ゼロリスクを求めてしまうのである。豊洲市場の土壌汚染対策が良い例である。

 案の定,豊洲市場建物批判者にも,耐震性能は高ければ高いほどよいというような匂いを感じる。東京都も静岡県並みに,地域係数1.2にすべきだとそのうち言い出しそうな雰囲気である。耐震性能アップに要する費用も知らずに,耐震性能設定の議論は出来ないのであるが,知っているのだろうか。耐震性能とは保険のようなものなのだ。保険金を受け取ることなく掛け捨てになることがほとんどなのである。掛け捨てとは耐震性能が発揮されることなく取り壊されることを意味する。なにしろ大地震は建物の耐用年限中に1回遭遇するかしないかという頻度なのである。前述の通り,重要度係数は技術的に決まるものではないので,最高ランクの耐震性を望むのも自由である。それにはそれ相応の税金の支出があり,他の行政サービスに影響することを了解するならばだが。