工事書類と信用

 杭打ちデータ流用問題を、今日の読売が「解説スペシャル」で取り上げていた。次に示すのは、その中の東大生産技研の野城智也教授のコメントである。

「元請の現場監督のデスクワークを効率化し、現場に立ち会う回数を増やす必要がある。特に杭打ちなど安全性に関わる部分は、多くの人の目でチェックすべきだ。施工記録を保存し、住民や第三者に情報開示できるような仕組みがあれば、施工者側も緊張感が生まれ、データ改ざんなどを防ぐ効果もあるだろう。」

 もっともなコメントで、建設業界では何十年も前から誰もが言い続けていることである。一方、この記事の前半には、杭打ち業者の「我々の仕事は杭をしっかり打つこと。データの管理は二の次だった」という言葉もあり、これも、現場の声として昔からよく耳にする。要するに、建物を作るのが仕事であって、書類を作っているのではないということだ。事件は現場で起こっている。

 誰もが分かっていながら核心に触れないようにしているような、もやもやしたところがある。

 この事件の経緯は、建物の沈下という不具合が起こったため、工事報告書を調べてみたら、データ流用という書類偽装が発覚したのである。書類の偽装に気付き、実際の建物も調べてみたら不具合が見つかったというものではない。膨大な量の杭打ちデータを一本一本チェックするというのは工事検査では非現実的であり、抜き取り検査が通常である。建物の工事は杭打ちだけではないのだ。工事規模にもよるが、他にも段ボール数十箱もの工事関係書類がある。実際のところ、施工記録は施工不良を見つける役には立っておらず、施工不良が問題化して、施工記録の偽装も見つかるのである。

 だからこそ、現場関係者は書類の管理は二の次だと感じるのだ。それどころか、煩雑な書類作成に時間を取られ、肝心のしっかりした建物を作るのがおろそかになることを心配している。野城教授のコメントの前半はまさにそのことを指摘している。元請の現場監督は書類管理に追われ、現場を見る暇がないのである。その結果、ゼネコンの社員は現場の技術を知らない手配師になってしまったともよく言われる。

 もし、再発防止対策として第三者検査を増やし、より精緻な施工報告書の提出を義務付けたりすると、関係書類がますます増えてしまう。ところが、前述のように、書類によって実際の建物の不具合がなくなるわけでも、見つかるわけでもない。それどこころか、書類が増えれば増えるほど目を通すことは難しくなる。書類とは、実際の不具合が見つかった後で、原因究明や責任の所在を明らかにするためのものだ。事後的なトレーサビリティを高めるのが目的なのである。不具合や不正の予防に直接的に効果があるものではない。

 とはいえ、間接的な効果はある。ただし条件があり、書類が倉庫の奥で眠ったままになるのではなく、いつでも情報開示されるという認識が現場関係者に浸透することである。野城教授のコメントの後半はそのことに関連している。野城教授はそのような仕組みが現状はないと考えているようだが、私はあると思う。書類は作成者が保存するだけでなく、お客に提出するものだから既に開示されているのだ。しかし、現状の現場関係者の認識はお客が工事報告書に目を通すことなどありえないと高をくくっている。だからこそ、お蔵入りする書類作成など馬鹿馬鹿しく、それよりも実際の作業をしっかり行うことが重要と思っているわけである。

 しかも、後々検分される可能性のある証拠書類を残しておけば現場が誠実に作業をするかというと、ことはそう単純ではない。高度な偽装をするようになるだけの可能性もあるからだ。監視されていれば悪事を働かないと考えるのは単純すぎる。頭の良い悪人は監視をかいくぐる手を考え出すものだ。暗号と暗号解読のいたちごっこのようなことが建設現場でも起こりうる。随分以前に、工事写真の使いまわしが問題になった。工事報告書偽装は以前から頻繁に行われており、今回は世間的大問題になったところが違うだけだ。写真偽装の時は、対策として工事写真に撮影時期データも記録する電子納品が開発された。しかし、その裏をかく技術も直ぐに追いつてくる。その結果、現場作業から離れた、偽装と偽装防止の闘いに労力が注ぎ込まれることになる。ICT業界としては需要が増え喜ばしい事態かもしれないが、建設業界とそのお客にとっては余計な仕事が増えただけである。

 では、どうすればよいのか。簡単な方法はないと私は思う。単純な問題ではないからだ。ただ「信頼」や「信用」はキーワードではないだろうか。偽装と偽装防止のいたちごっこが起こるのは信頼がないからだ。もし、信頼があれば余計な仕事は不要になる。そのようなことを望むのは世間知らずの楽天家とは限らない。なぜなら、我々はお金を使っているが、お金そのものには価値はない。価値に交換できることを信用しているから使っているわけである。もし、その信用がなくなりお金が使えなくなると、取引は極めて面倒で非効率になってしまう。建設業界はあまり信頼されておらず、そのような非効率な取引が行われるレモン市場のようなものだ。書類の多さがそれを現わしている。