ゴースト・イン・ザ・シェル

 「兵器として役に立たないゼロ戦がだめなら,日本刀や熊本城もだめじゃないの」。この反論に竹下郁子氏は,「兵器だからではなく,オーナーの思想が許せないのだ」と言いました。だとすると,このオーナーは旅客機も何も作れなくなります。

 いや,旅客機はいけど,ゼロ戦を作った時の意図が疑問なのかもしれません。オーナーの邪悪な思想がゼロ戦に憑りついて,エアショー観客に災いをもたらすとしたら,怖いですねえ。笑えないことに,人間はこういう不合理な思いにとらわれやすいです。白状しますと,こどもころ刑務所作業製品の展示を見て,どことなく不良品のように感じたことがありました。我ながら酷い偏見ですが,私だけじゃないのではないでしょうか。

 例えば,建物の欠陥が疑われ,調査した結果,建物が健全だとわかったとします。ところが,その建築主は納得しません。こんな疑惑が浮上するのは,なにか建設に絡む不正や悪事があるのかもしれないと,建設の経緯を調べたりします。すると,なんと設計事務所と建設会社の間で不正なリベートの授受があったことが分かったのです。では,建築主はこんなケチのついた建物は引き取れないと,取り壊して立て直しを要求できるでしょうか。いうまでもなく,建築主と建設業者で交わした契約書が履行され,建物には何の問題もなければ無理です。リベート不正は,また別の問題です。でも,建築主には気持ち悪さが残り,建物は健全だといっても納得しません。

 手抜きや事故があれば,過去の経緯の調査と原因究明は,再発防止のためにも重要です。無事故で健全な建物が完成すれば,そんな調査はしませんが,過去に変な事がなかったとは限りません。この種の変な事は,灰色疑惑でおわり決着が付かない場合が多く,そのような消化不良が起こると,健全な建物であるにも関わらず,不具合があるという妄念に憑りつかれることは十分あり得ます。建物の中に幽霊を見るんでしょう。妄念が膨らむと,健全な建物を取り壊すという常軌を逸した行為に突き進みます。

 豊洲市場の場合も,過去の変なことが疑わました。ゼネコンの談合疑惑,都議会のドンの陰謀,不完全な地下水汚染対策や設計ミスやらです。そこで,調査しましたが,何も出てきませんでした。出てきたのは都庁幹部が設計内容を把握せずにめくら判を押したという程度でしたが,処分されました。当初は建物の不備を見逃したと疑われていましたが,建物に不備はないことも確かめられました。

 それでも,疑う人はちょっとしたことが気になるようです。建物は構想段階から基本設計,実施設計,建設という段階で幾度も変更が行われ,変わっていくものですが,その変更に不正や陰謀の幻影を見るようです。その発端が建物下の盛り土がなかったことですが,もし,これが陰謀なら厳重に隠ぺいしようとするはずです。しかし,現実には,技術会議には盛り土のない図面が提出され,現地で委員も確認していますし,設計図書には明記されていて,関係者は誰でも見ることができましたし,工事中の写真も公開され,盛り土がないことは明白でした。手抜き工事で柱の鉄筋を抜く程度なら秘密裡に行いコンクリートを打設すれば分からなくなりますが,あれだけの大面積の盛り土がないことを隠すなんてのは不可能な話です。

 ですが,陰謀の空想はとめどなく広がるようです。基本設計で地下柱であったものが,実施設計で計算すると,断面不足なので,断面を大きくして基礎に変更しても別に構いません。こういう変更があることは基本設計の設定が甘かったとはいえても,不正と批判されるようなことではありません。基本設計の柱を変更せずに柱のままにして,計算だけ基礎として行ったら不正ですけどね。実際には,基礎に変更したので基礎として計算してあるだけですが,幽霊に憑りつかれると,こういう当たり前のことまで疑わしく感じるようですね。

 盛り土を止め,地下ピットの重機作業のために,建物の基礎構造は影響を受けていますが,設計への要求条件の妥当性とそれに応えた構造設計の妥当性は別の話です。仮に盛り土が必要だったとしても,建物の構造の安全性は保たれています。実際には盛り土は不要でしたが,必要だと思い込んでいると,建物の構造も危険に見えてくるのかもしれません。石原元知事や都議会議員の幽霊が建物の構造に憑りついて見えているのかなあ・・・