アクセント崩壊地域

最近の子供って「俺」の発音 変じゃね?
http://anond.hatelabo.jp/20151009233929

 実を言うと、「最近の子供って「俺」の発音 変じゃね?」と言われてもピンときません。私はアクセントが分からないからです。中学生の頃使っていた国語辞書の巻末にアクセント分布地図が載っていて、私の住む地域は「アクセント崩壊」となっていました。この「崩壊」という表現に少々ショックを受け自虐的なネタとして同級生に話していたことを覚えています。もう少し穏やかな言い方でもよさそうですが、学問は非情です。確かに、国語の時間に橋と箸、牡蠣と柿、飴と雨はアクセントが違うと習ってはいたのですが、実際には区別が出来ず、実感のない知識でした。先生だって区別できていたのか怪しいものです。

 ただ、周囲も同じですから、何かが欠如しているという自覚はありませんでした。後に上京して周囲はどうやら本当に区別しているらしいことに気づき、初めて欠如感というか劣等感を感じました。色盲の人が、自分が周囲と違うことに気付いたときの衝撃に似ているというと大げさですね。まあ、大した話ではありません。

 最近亡くなったオリヴァー・サックスの著書「色のない島へ」を読むと、全色盲のひとはコントラスト、明度、質感のような知覚に優れているようだと書いています。ならば、アクセント盲も別の能力が発達している可能性があってもよさそうです。例えば、同音異義語を文脈から判別する能力が優れていたりすれば嬉しいです。ただ、残念ながら自分に関する限り、優位性を実感することは全くありません。それは、アクセントが分からなくても、それほど困ることはないので、別の能力で補う必要もないのでしょうね。