酔って記憶がないのに何故家に帰れたのか?

 「酔って記憶がないのに何故家に帰れたのか?」つい先日、電車の中の広告でこんな文句を見ました。健康的な酒の飲み方というような本でした。私も記憶をなくした経験があり、不思議に感じたことがありますが、この疑問自体が勘違いです。なぜなら、記憶がないことと、家に帰れることは無関係だからです。10年前に帰宅した時の記憶はないかもしれませんが、あの時何故家に変えれたのかと疑問には思いません。これは「意識」と「記憶」を混同しているわけです。酔っぱらっても意識があれば帰宅できますし、翌日思い出せないのも別に不思議ではありません。忘れたのは翌日の出来事で、それが前日の行動に影響するはずがありません。

 では、何故このような勘違いをするのでしょうか。私の場合、どうなのかを振り返ってみると、実際以上に記憶があるという勘違いが根源にありそうです。実は酒を飲まなくても、昨日の帰宅の記憶は相当あいまいです。いつ帰ろうと考えたのか、電車の中で何を見たのかなんてほとんど覚えていません。通勤は決まりきった定型的行動なので、あまり意識しない自動運転的なところがあります。なので、記憶にも残らないのですが、記憶にないということもあまり認識していません。覚えていると勘違いしているのです。

 逆説的になりますが、酔った時の記憶がないことはむしろはっきり認識出来ます。覚えていると勘違いすることなく、正しく認識できるのです。ところが、普段は覚えていないことも覚えていると勘違いしているため、覚えていないという事態が異常に感じます。尋常ならざる事態には尋常ならざる原因があるはずで、そもそも意識がなかったので思い出せないのだと無意識に辻褄あわせをしているような気がします。そうすることで、記憶がないことの不思議さはなくなりますが、今度は、意識がなくて帰れたことの不思議さが生じます。「何故帰れたのだろう?」と。

 実際は、記憶がないことは不思議でもなんでもなく、意識はあったわけです。この話が面白いのは、記憶をなくすという能力の欠如と、意識なしで行動できるという特殊能力の保有では、前者の方がよりありえないと感じることを示唆しているところです。人間が物忘れしたり馬鹿なことをするというのはなかなか信じないのに、超能力は容易く信じてしまいます。覚えていないのはおかしいと、国会で追及されるぐらいですからね。