酢豆腐

 10年ほど以前に図書館から「国語辞書事件簿」という本を借りて読みました。辞書の編纂にまつわる裏話や事件を扱ったいて結構面白い本です。多くの辞書は全く独自に編纂するわけなく、参考にする辞書があって、その親辞書が間違っていると新しい辞書も間違うことになるそうです。そのようにして、かなりの辞書が間違っていた言葉に「酢豆腐」と「ろくろがんな」があったと書いてあります。

 少し前の辞書で「酢豆腐」を引くと「①豆腐に酢をかけた食品。②知ったかぶり。半可通。」と、また、「ろくろがんな」は「回転軸に刃のついたもので、材料をえぐるもの。」と説明してありました。ところが、これは全くの間違いで「酢豆腐」という食品は実在せず、「ろくろかんな」は存在するものの、説明とは違う道具なのでした。

 「ろくろかんな」とは、回転する材料に刃を当ててえぐるもので、刃が回転するのではありません。「酢豆腐」は落語の演目で、腐った豆腐を食べさせられた知ったかぶりの若旦那が「これは酢豆腐だよ」と食通ぶる話です。②の意は正しいのですが、①はまさに若旦那の役を辞書が演じてしまったという皮肉な事件です。

 コピペは誤りまでコピーしてしまうという教訓で、専門分野の研究では、原典に当たることが重要である所以です。デマが広がるのも似たような理由です。とはいえ、辞書編纂の場合、あらゆる分野の数万に及ぶ言葉を扱いますので、ある程度は他者の力を借りざるをえません。その際の他者はその分野の専門家であるべきで、料理や木工道具の専門家や専門資料で確認していれば、「酢豆腐」のような間違いはなかったと思います。専門用語の意味を「広辞苑によると」などと解説すると馬鹿にされますが、辞書編纂者にも言えます。ただ、「酢豆腐」は専門用語っぽくないところが盲点だったといえます。

 さて、懐疑的な読者なら次のように突っ込むかもしれません。本当にそんな間違いがあったことをお前は確かめたのかと。運が良いことに私の本棚には、昭和54年10月20日231版発行の角川国語辞典がありました。上記の語意はそこに記載されていたものです。