猪瀬直樹氏の新国立競技場陰謀論


 通常,談合や官製談合は予算を使い切るために行う。発注者は予算を余すと財務省の査定が厳しくなるのでいやがるし,受注者は当然,予算額目一杯で受注したいので,そういう悪さをする動機がある。だが,予算を遙かに超える額で談合するバカはいない。予算額以上で入札しても受注は出来ないのであるから当たり前だ。予算額を増やすのは政治的行為であって,談合で出来ることではない。政治的に確保された予算を食い物にするのが談合である。

 入札の談合で予算を増やすことは出来ないが,競争入札を行わず,業者を決めてネゴを行えば,業者は額を上げようとする。これは談合と違って正当な行為であることは言うまでもないだろう。発注者の足元を見て吹っかけるのも正当な交渉であって,吹っかけられるのは発注者の交渉が下手なだけのことだ。そもそも,解体工事と違って新競技場では競争入札を行っていないのであるから,談合は存在しえない。談合とは競争しなければならない応札者が共謀して入札額を引き上げる行為である。官製談合はその音頭を官庁が行うことである。

 ネゴで額を引き上げようとしても,予算額が上限である。業者側が予算を増やすことまで求めることは普通あり得ない。そう言うことは,もっと前の企画構想段階で政治的に行われるのである。土壇場の工事契約の段階に来て,工事額を予算額を遙かに超える額に引き上げようと,業者と発注者が結託することなどあまりに稚拙な計画である。成功する見込みは乏しい割に世間の注目を浴びるし,非難轟轟なのは目に見えている。談合のような悪さは目立たないようにこっそり行うものである。

 このドタバタを「官製談合」と見るのは陰謀論に毒されすぎている。単に,無能,無責任な関係者の失態だろう。念のため書いておくが,違う種類の不正も行われているかどうかは知らない。