線引き問題 ー 「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」

 評定サイトには,「発展途上の科学」と「未科学」という分類をしています。果たして,疑似科学の判定にこれらの分類が必要でしょうか。前の記事と重複する部分もありますが,必要性について考えて見ます。

■科学発達史的分類

 前記事にも書いたように,字面からは科学発達史的分類を思い浮かべます。自然現象を説明したり制御する行為(営為)として,古代の呪術から始まって,哲学を経て,実証科学へと至る歴史です。当然,この変化は連続的ですから,明確な線引きは出来ません。物事をマクロに見る時には有用な分類ですが,個々の事例,例えばアリストテレスの行為はどの分類に該当するかなどを考えてもあまり有意義とは思えません。アリストテレスの研究は発展途上の科学と決めたところで,それだけのことで,それが何かの役に立つとは思えません。

 肝心なのは,この発達段階の末端に「疑似科学」は位置しないことです。「未科学」以前は「疑似科学」だったなどということはありませんから。

■現代の営為の分類

 現代の人類の営為には芸術活動,経済活動,遊興活動,研究活動など様々な分類があり,科学活動もその一つです。この分類は固定的ではなく絶えず変化しています。これらの分野では,それぞれルールが存在していて,そのルールに従っていない活動はその分野では認められないことがあります。例えば,私が落書きを書いて芸術だと主張しても「そんなものは芸術とは認められない」と言われる可能性があります。芸術の場合は何でも有り的なところがありますが,経済活動などのルールは厳しく,ルールから外れると搾取や窃盗であり経済活動とみなされません。この分類には「科学」は存在しますが,「未科学」や「発展途上の科学」は存在しません。生まれたばかりの科学分野でまだ十分な成果を上げていない科学でも科学のルールに従っているのなら「科学」に分類されます。例えば,「意識」は実証的な手段がなかったため,科学では扱いにくく,哲学や宗教の対象でした。しかし,脳科学の発展で実証的な研究が可能になり科学になってきています。

 ただ,「未科学」については,あえて考えれば考えられないこともありません。例えば「ESP」は,過去には科学的ルールに従い研究が行われました。その結果有力な証拠が得られず,ほぼ否定されています。それでも諦めきれずに研究を続けている場合もあります。このような場合,つまり,科学的ルールにしたがった営為ではあるが殆ど見込みのない営為を「未科学」とする分類です。他には「タイムマシンの研究」のようなものが考えられます。

 肝心なのは,この分類も明確な線引きは出来ないと言うことです。ルールに合致しているか否かは結構悩ましい判断の場合もありますし,境界領域の分野が生まれたりもするからです。とはいえ芸術や星占いは科学ではないと明確に言えます。判断に悩むものもある一方,明確に科学ではないと言えるものも有るということが重要です。そして,この分類にも「疑似科学」は存在しません。「疑似科学」には分類に必要なルールが無いからです。犯罪などと同じどの分類にも該当しない営為といえます。疑似科学の中には詐欺という犯罪に該当するものもあります。

■科学の説の完成度分類

 以上は人間の営為の分類でしたが,科学の説の完成度による分類もあります。「定説として認められた説」,「まだ,証拠が十分でない仮説」,「殆ど証拠がなく,予想として提示されたばかりの仮説」のような分類になります。この分類も連続的で線引きは出来ません。ただこの分類に従うなら「発展途上の仮説」ならしっくりきますが,「発展途上の科学」や「未科学」は違和感があります。

 肝心なのは,この分類にも「疑似科学」は存在しないことです。科学の中の分類なので,科学ではないものを入れるわけには行かないからです。既に否定されたラマルクの獲得形質遺伝説のようなものを「未科学」に分類することも考えられますが,科学の範疇になります。もちろん,現代にラマルク説が正しいと主張すれば「疑似科学」認定ですが,それは,現代において覆す証拠もなく正しいと主張するという行為(営為)によるわけで,説そのもの性質ではありません。


■「科学ー発展途上の科学ー未科学疑似科学」という並びは不適切

 以上の,どの分類で考えても,科学ー発展途上の科学ー未科学疑似科学という並びは不適切だと分かります。「疑似科学」を科学と分けるものは,ウソや明らかな錯誤です。完成度という程度問題ではなく,質の問題が大きいのです。もちろん,ウソや明らかな錯誤があることを言うためには,主張の完成度を確認しなければなりません。評定サイトはそこを重点的に行っており,それはそれで有意義ではあります。しかし,それだけでは「疑似科学」の判定は出来ません。科学の中にも発展途上で真偽不明のものも多くありますが,それを認められた定説と主張したり,実用に利用して製品に販売を行ったりはしません。真偽不明でも明らかな間違いでも,認められたと主張すれば疑似科学ですから,細かい分類をする必要はないでしょう。

 そうは言っても,判断に悩む場合もあります。詐欺事件でも裁判で争うぐらいですから,様々な意見があります。そう言うものについては断言しなければ良いのです。明らかにおかしいものだけを疑似科学とすればよいでしょう。ただ,明らかにおかしいのなら,誰だって分かりそうなものですが,ここでいう明らかにおかしいとは,専門家から見てという意味であることに注意する必要があります。疑似科学問題は専門家を信頼するという前提があるのだと思います。批判批判者はその前提から疑います。その場合は疑似科学者も疑わなければならず,信頼出来るものはだれもいないというアナーキー状態になってしまいますが,批判批判者は建設的な提案はしないので気にしないだけです。

 説の真偽の程度を表す「発展途上の説」や「認められた説」という並びと,営為を表す「科学」や「疑似科学」という並びは別の並びだと思います。評定サイトの「発展途上の科学」や「未科学」はその意味が曖昧ですが,どうも「説の真偽の程度」を意味しているようです。そして,専門家でさえ悩ましい分類です。しかし,悩ましい分類であるにも係わらず「認められた説」であると主張すれば,悩まずに「疑似科学」と判定して構わないと思います。一般向けの疑似科学注意喚起に「発展途上の科学」や「未科学」という分類を持ち込む必要は感じません。