王様は裸と言ったのは子供だから

 曽野綾子氏の産経コラムにも少数ながら賛同する人がいます。誰もが思っている本音を言ってくれたというような気分みたいですね。曾野綾子氏は,タブーの「王様は裸だ」と言った子供のように見えるのかもしれません。確かに,私にも,素朴で幼稚な子供に見えます。

 子供は,個人の感情と社会的な問題が区別できず,社会問題についても個人の好き嫌いの感情で判断します。あのコラムはその程度のレベルだと思います。例えば、介護問題について次のように書いています。

つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでもいいのだ

 家族に食べさせる料理に調理師資格は不要ですが、食堂を経営するのは必須です。曽野綾子氏はその程度の区別もできない子供です。子供にとっては料理は美味しければよいので,後先考えずに食べ過ぎてお腹を壊したりします。衛生も気にしません。お母さんの料理に要求されることと,プロの調理師に要求される社会的制約の区別ができません。子供だからです。曽野綾子氏が大人だとしたら,介護関係の職業人に対して随分失礼なことを言っています。しかも,外国人労働力を必要としているのに,近くに住んでくれるなというのは,虫がよいというか身勝手というか。

 氏の南アのマンションの経験も,外国人お断りという日本のアパートと似ています。この問題は別に外国人に限りません。習慣,職業,経済力,文化そのた諸々が異なる「異人種」とはトラブルになる確率が高いのでできれば同じような人間と住みたいと大抵の人は思っています。好き嫌いのはっきりした子供は特にそうです。私も自分のマンションでヤンキーぽい人を見かけた時,微妙な気分になりました。異人種排除の感情は誰にでもあるようで,マンション内格差は日本でも問題になっているようです。

超高層マンション格差社会の縮図
http://1manken.hatenablog.com/entry/20140823

 現実には,異人種(肌の色だけではなく,習慣,職業,収入,その他諸々が違うという意味)とはトラブルになりやすく,迷惑を被る確率も高くなります。だからといって,外国人入居お断りとしてしまえば差別です。迷惑を被った時点で規約に基づき退去を求めるのではなく,事前に属性だけで十把一絡げで拒絶しているからです。迷惑を掛けない外国人だっています。

 それに,南アのマンションの例は,単なる迷惑行為ではなくて,人種差別から生まれた貧富の格差という背景があります。裕福層だけの時は飲料水が共用管理でも問題無かったとしても,貧困層が入居してくれば,管理方法を変えなければなりません。裕福な白人と貧乏な黒人を分離していた差別制度時代の管理方法のままでは問題が生じて当たり前です。曾野綾子氏は差別時代のマンションだから,差別しないと問題が生じるといっているに過ぎません。差別で得た既得権を手放したくないだけでしょう。

 それにして,異人種の近くには住みたくないという感情は否定しません。そう言う場合は,マンションから逃げ出す自由があります。無理に居続ける必要はありません。しかし,自分の家でもないのに,居住を制限する権利はありません。ただ,子供は,正直ですから、酷い火傷の跡がある人を見れば「キモイから隣に住むな」と言いだすかも知れません。でも個人的感情と社会制度を区別できるある大人は「キモイ」とは思っても「隣に住むな」とは言えないことを知っています。

 差別というのは誰にでもある非常に素朴で幼稚な感情なので,根強いのだと思います。