時代遅れのSF

SFに登場する、未来なのに今や時代遅れな世界12選
http://www.kotaku.jp/2014/10/12-futuristic-worlds-uses-obsolete-technology.html

 この手の言説はよくありますが,2種類あると思います。1つは,未来の予測は難しいという主旨のもので,もう一つは簡単な予測を外していると笑うもの。リンク先の記事はは後者寄りなのであまり評判が良くないのだと思います。一応,最後には「予想は難しかった」と書いてありますが,すぐその後で「優しい気持ちになれるかもしれません」とあるので,なんとなく今なら予測出来るけど,昔は難しかったのだろうと先人を見下しているような印象を与えてしまっています。

 そもそも,SFは別に未来予測の報告書ではなくて,書かれた時代での問題意識に基づくフィクションですね。だから予測が外れたと言うのはファンタジーが非現実的と言うようなもので的外れです。外れたことを笑うのではなく,楽しんで観賞するという態度もあって,レトロフューチャーなデザインを愛でるマニアもいて,それには共感します。

 笑うというのは,無意識に未来予測が簡単だという前提があるのではないでしょうか。だからまだ訪れていない未来についても,予測が外れるという予測をしてしまうのだと思います。既に現在でも時代遅れになったテクノロジーが未来に使われているはずがないというのは思いこみに過ぎません。過去の歴史を眺めてみても,文明やテクノロジーが衰退し,古いテクノロジーに戻ったという事例は沢山有ります。例えば日本では家畜を使って田畑を耕す技術が江戸時代に廃れ,専ら人力に頼るようになりました。

 また,時代遅れに見えるのは,未来人の懐古趣味による表面的なデザインだけかも知れないと言うことだって出来ます。FAXやダイヤル電話のように見えるけど,それは表面的なデザインだけで,中身は想像もつかないテクノロジーが詰まっているのかもしれません。なにしろ未来のことは何とでも言えます。こういう言い訳はSFの本質とは無関係ですが,未来予測が簡単だという勘違いへのカウンターにはなります。表面的なデザインやファッションの流行の予測が難しいことは直感的に分かります。ところがテクノロジーの予測はそれに比べれば簡単に見えてしまうのかもしれません。私は,昔のSF映画のファッションが妙に制服的なデザインであったことに違和感を感じたことがあります。ファッションはリバイバルが有ったりして,一直線の変化をするわけではありません。さすがに最近のSFでは妙ちきりんなデザインの衣装は少なくて,あまり現代と変わらなくなっています。

 テクノロジーもファッション同様,一直線の変化をしませんし,テクノロジーの予測もファッションの予測もその難しさに大きな違いはないと思います。どちらも難しくて,外れて当たり前でしょう。