○何を評価するのか ー 面接(人物像)

 人物象という複雑なものを,短時間の面接で評価出来るものでしょうか。一見してご遠慮願いたい人物を足切りする程度なら理解できます。比較的明確な特性(容貌など)が要求される場合も分かり安いです。現時点での人物像ですら難しい所,将来性の評価になると更に難しくなります。未来の予測は大概外れます。一方で、因果関係をこじつけたがるのも人間の習性です。その結果、「人を見る目がある」なんていわれますが,数少ない経験がたまたま運良く当たりだっただけかもしれません。客観的に検証されたものはわずかです。

 「たまたま」(レナード・ムロディナウ著 田中三彦訳)には、「アンネの日記」を始めとする数々の世界的ベストセラーが出版社には不評で繰り返しはねつけられたことが述べられています。映画の世界も同様のようで、期待された大失敗作や、映画会社が疑念を抱いた大ヒット作は数多くあります。このようにヒットの予測が難しいことは事実が示しているにも関わらず、映画会社の幹部は大ヒット作を当てるという幻想の能力で評価されるそうです。スポーツ界でも、活躍する選手や優勝チームの予想はサイコロをふるようなものが殆どのようです。にもかかわらず、評論家という予測を仕事とする商売が成立しています。株価もランダムな動きをする、つまり予測不能という多くの証拠があるそうですが、ウォール街には権威的アナリストという伝統があり、彼らの平均報酬は1990年代末で約300万ドルであったと述べられています。

 出版の編集者、映画会社の幹部、スポーツの評論家、金融アナリスト、これらはその道の専門家です。それですらこういう状態ですが、一方で会社の社員採用や大学入試の面接担当者というのは年に1回程度、臨時的にその業務をするいわば素人です。さしたる経験を積み重ねているわけでもなく、かといって先人が積み上げてきたノウハウがあるのでもありません。私も面接審査の経験がありますが,普通の人材を選ぶというのが基本的なスタンスでした。ババを引かない足切りが目的なのです。「元気がありそうだ」などの一般的な性格は分かるにしても,職業への適正のような積極的評価の方法はなかったからです。しかし,学力に代わる人物評価は無難な人物ではなくて,一芸に秀でた才能を探すというところがあります。そんなこと可能なのでしょうか。

 私の会社は無難な人物を選ぶというスタンスでしたが,ベンチャー企業のような場合は規格外の人物を選んでいるように見えることがあります。しかし,それは規格外の性格の人物を選んでいるのではなく,一つ才能があれば性格など他のことは気にしないというだけじゃないでしょうか。最低限一つ才能がなければならず,それが評価基準です。それは,大学入試でいえば学力試験に相当します。飛び抜けた能力が何かあれば,少々の規格外は目をつぶろうということであって,飛び抜けた能力もなく,規格外の性格の人物を選んでしまったら最悪です。

 曖昧な評価基準は,恣意的な評価をするために意図的に使われることもよく有ります。本当の評価基準ははっきりしていて秘密にしておきたい場合と,本当の評価基準が事前にはなくて,あとから考えようという場合があると思います。