再現検証実験の弊害

 1. STAP細胞の有無、2.論文不正の有無、3.再現実験の結果、この3つはある程度関係もありますが、本来独立な事象です。従って8通りの組み合わせの可能性があります。例えば、こっそりと優秀な研究者の原稿をコピーして、実験も行わずに論文を投稿した場合には、STAP細胞が存在し、再現実験でも再現できるかもしれません。しかし、これは剽窃という不正です。STAP細胞は存在せず、再現実験も失敗しても、不正とは限りません。単なる間違いかもしれません。実際に、論文の大半は間違いで数年で忘れ去られてしまいます。再現実験の失敗は不正の証拠ではなくて無能の証拠の場合が多いのです。また、STAP細胞が存在しても、再現実験に失敗することもありえますし、存在しないのに、再現できたという間違いも起こりえます。それゆえに、追試などで、数年間の吟味を経て初めて論文の正しさは認められるわけです。真理追究においては拙速は避けなければなりません。

 一方、論文不正の有無を裁定するためには、生データ、実験ノート、残されたサンプルなどの監査という不正の直接的な証拠調べをする必要があります。極めて専門的な内容になりますので、研究者の協力が欠かせませんが、科学的な真実の追究ではないので、当事者間で決着がつかなければ司法の判断も仰げる事柄です。これは捜査や監査に相当することであり、証拠の保全の問題もありできるだけ迅速に行わなければなりません。真理追究と犯人追及は別の事柄ですが、混同があるように思えます。

 結局、再現実験は論文不正の判断の傍証にしかなりません。再現できたのなら、不正の可能性は低そうだという推測が出来る程度です。それだけで決定できないだけでなく、場合によっては先入観を与える余計な情報になります。レイプ事件の法廷ドラマで被告側弁護人が、被害者の派手な異性関係を質問し、判事から制止される場面がありますが、あれは陪審員に先入観に基づく心証を与えないためです。判決は証拠と事実に基づいて成されなければならないからです。STAP騒動では、「心証」で動く世論や政治家という層が無視出来なくなっているのが大きな問題だと思います。あくまで、傍証にすぎないという理解なら良いのですが、再現実験が決定的な証拠という誤解を世間に広めるのは、禍根を残すことになります。

 前述のように論文の正否という科学的事項に結論が固まるには期間を要します。科学的真理追究には時間がかかります。不正疑惑判断の為に再現実験を行うという今の状況で、仮に何かの間違いで再現実験が成功してしまったら、理研STAP細胞が存在すると言わざるを得ませません。たった1回のそれも理研内部の実験だけでです。これは科学に携わる組織として非常に拙いと思います。その可能性は少ないでしょうが、拙い結果が出ないよう注意しなければならない実験は公正中立とは言えないでしょう。

 再現実験の結果は不正の直接的証拠ではないにもかかわらず、世間一般の心証に与える影響は大きいものがあります。法廷ドラマの弁護士が陪審員の心証を利用するように理研も利用しようとしているのでしょうか。推理小説の作家は如何にも怪しそうな人物を登場させ、読者の心証を利用してミスリーディングします。これが知れ渡ったために、怪しそうな人物は犯人ではないと逆読みする読者もいます。いずれにしても、印象で判断するという間違いを犯しており、本格推理小説では証拠で犯人が推理できるようになっています。正しい判断は直接的証拠から導き出さねばなりませんが、理研推理小説作家に倣い、読者ならぬ世間をミスリーディングしようとしているのでしょうか。はたまた自分自身がミスリーディングされているのでしょうか。いずれにせよ、印象や心証や野次馬の気分で犯人にされてはたまりません。