記憶の錯覚

 前の記事にパメラ・アンダーソンのことを書きましたが,なにか引っかかるところがあり,彼女の経歴を調べてみました。よく知っている有名人だと思い込んでいましたが,その経歴を見て愕然としました。なんと私が全く知らない人物だったのです。それだけではありません。どうもなんとなく「パメラ・フランクリン」と混同していたような気がしたので(混同するにしては年が違い過ぎますけど,どっちにしろいい加減な記憶の話です),彼女の経歴もついでに確認してみると,これまた私の記憶とは別人のようです。私が知っていると言える似た名前はソウルシンガーのアレサ・フランクリンぐらいですが,彼女は更に年上です。

 要するに,似た名前を耳にしていたため,大して知りもしないのによく知っているような錯覚に陥っていたようです。ただし,パメラ・アンダーソンアレサ・フランクリンでは名前にまったく共通部分がありません。アレサ・フランクリン→パメラ・フランクリン→パメラ・アンダーソンという経過を経て,知っていたような気になるのですから我ながら驚きです。いや,そのような明確な経過を辿ったというより,色んな名前が渾然一体となって判別できなくなっているのかも知れません。

 この様な記憶の錯覚については,ラリー・ジャコビーという心理学者が実験して,「一夜にして有名人になる」という論文を書いたそうです。ちょうど読了したダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」の5章に書いてあります。

 デービッド・ステンビル,モニカ・ビグスキ−,シェナ・ティラナ。これはたったいま私がこしらえた名前だが,もしあなたが数分以内にこのうちの誰かに出くわしたら,「以前にどこかで会った」と感じる可能性が高い。お気づきのとおり,これらは有名人の名前ではなく,二流の有名人の名前ですらない。だが数日後に沢山の名前が書かれたリストを渡され,その中から有名人だけピックアップするように指示されるとしよう。そこに書かれているのは二流の有名人や聞いた事もない人の珍妙な名前なのだが,あなたがそこでデービッド・ステンビルを有名人と認識する可能性はかなり高い。

 いい加減な記憶は私だけじゃないようで安心します。

 これについてジャコビーは「見覚え,聞き覚えといった感覚は,単純だが強力な『過去性』という性質を帯びており,そのために,以前の経験が鏡に直接映し出されているように感じる」とあざやかに説明している。この過去性と言う性質は錯覚である。ジャコビーらが示したとおり,本当のところはこうだ。デービッド・ステンビルという名前をみてなつかしく感じられるとすれば,それは,あなたがその名前をほかの名前よりはっきり見分けるからである。以前に見かけたことのある単語は,その後は見つけやすくなり,ぱっと見せられただけでも,あるいは騒音で聞き取りにくくても,簡単に識別できるようになる。また,他の単語より速く(100分の数秒程度だが)読むことも出来る。要するに,前に見た単語をまた見るときには認知が大幅に容易になり,それが「なじみがある,よく知っている」という印象につながる。

 そう言えば最近,リチャード・アッテンボロ-が無くなり,「ああ,彼が亡くなったのか」と私は思いました。でも本当のところは彼のことを知りませんでした。私がわずかでも知っていたのは動物学者のディビッド・アッテンボロ-の方でした。そして,彼のこともドキュメンタリー製作で有名程度しか知らないのです。