不正の自主点検とは

理研 全研究者に論文の自主点検指示
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140504/k10014217011000.html

STAP細胞を巡る問題を受けて、理化学研究所は、所属するすべての研究者に対し、論文の自主点検を指示したことが分かりました。ほかの論文からの盗用がないかなどが点検の主な内容で、対象の論文は2万を超えるとみられます。

 報道されている内容だけからは、主旨がよくわかりません。うっかりミスの自主点検なら一応、意味はわかります。もう一度再点検せよということでしょう。しかし、悪意の不正の自主点検なんか無意味ですよね。論文執筆時は悪意があったけど、今では反省していることを期待しているんでしょうか。

 それに、事の発端の小保方さんは不正と認めていません。従って、小保方さんが自主点検しても不正の申告はありえません。だから、他にも小保方さんのような研究者がいることを想定した対応ではありません。一体、どういうケースを想定してこのような点検を実施したのでしょうか。考えられるのは、研究者間でこの程度は問題ない思われがちだけど、不正と判定される事例を示して、該当しないか点検させるというものです。公務員の収賄事件後に類似の対応が行われています。事細かに、利害関係者からの飲食の提供金額、原稿料、講演料の可否などなどのリストを示して点検させるものです。

 この種の対応は、従来は許容範囲だと考えられていたことを厳しく不可とし、周知徹底させるという意味合いがあります。ところが、そもそもそういう対応をすることになった事件は、そのような微妙なものではなくて、常識で考えても明らかに駄目というレベルのものなのですね。つまり。明らかに不正といえる事件のために、今までは許容範囲だったことが不可となるわけで、考えてみれば奇妙なところがあります。とはいえ仕方ない面があり、それはそういう対応でもしなければ世間が納得しないという意味です。実質的に不正防止効果があるかどうかは怪しいですが、業務上の負担を増やすのは間違いありません。

 理研の措置も、心配通り研究者に大きな負担を与えることになりました。研究に随分支障が出るのではないでしょうか。別に、自主点検なんかさせなくても、ネット上の検証サイトやボランティアが熱心に検証してくれていて、偽陽性率の高い検査をしています。それで十分というか、山中論文の例なんか過剰と思えるのですが。随分無駄な労力を割かせてしまったのではないでしょうか。だからと言って当事者の理研が何もしないのでは世間が納得しないので、何かせざるを得ないでしょう。でもそれは世間対応であっても、不正対応になっているとは限りません。

 今回の事件の捉え方には2種類あると思います。一つは、潜在的に不正が研究者の間に蔓延していて、それがたまたま発覚して事件になったというものです。もう一つは、不正を働いた特異なキャラクターの研究者を組織をあげてフィーチャーしてしまったというものです。前者は研究者の問題であり、後者は研究所という組織運営の問題です。研究者全員の自主点検というのは前者を想定した対応になります。でも、無能にせよ意図的な不正にせよ間違った論文が皆無ということはなくて、そういうものがあったとしても組織の致命傷にならないようにするのが組織運営ではないかと思います。

 論文のようなオリジナリティが要求されるものに最初から完璧を求めては、有益な研究も殺してしまいそうな気がします。玉石混交の論文は先ず研究所の中で淘汰され、さらに研究所の外でも淘汰されます。今回は、研究所の外に出たとたんあっという間に淘汰されたわけで、研究の世界のシステムは問題なくというか普段以上に迅速に作動したのではないでしょうか。研究所内の淘汰システムは穴だらけだったとしても、社会に害悪をあまり及ぼさないというか、そもそも研究所とは独立した研究者の集団に過ぎずあまり組織的に研究を審査淘汰しているとは思っていませんでした。でも、最近は、研究費が多額で組織的に行う研究が増えていて、研究所組織としての審査が重要になってきているのかもしれません。研究者個人の自主点検だけでなく。