存在証明の不可能性

■天使の証明 不存在証明の不可能性は悪魔の証明なんてカッコ良い名前まであって特別扱いですが,存在証明だって厳密なことをいえば不可能です。小悪魔の証明か天使の証明とでも呼んであげなければ不公平です。

■定義の問題
 存在証明は実例を一つ示せば済むと言われますが,そう簡単ではありません。例えば「白いカラス」の存在を示すには,先ず「白いカラス」の定義をしなければなりません。「これは白いカラスだ」と示しても,「いや,少し黒が入っているからグレーのカラスだ」と反論されるかも知れません。となると,明度の厳密な取り決めや,目は黒くて良いが,羽毛の○○%以上が白いこと,とか細かいことを言い出したら大変です。

 存在証明の前段の定義段階から前に進まない可能性があります。果たしてその定義でよいかという疑問は永遠に決着しないでしょう。なので,適当なところで妥協せざるを得ませんが,そうなると厳密な存在証明といえるのか怪しいものです。

■測定誤差の問題
 定義の問題は解決出来たとしても,次に測定や観察の誤差の問題があります。白いカラスの様に見えているけど,見間違いの可能性も有ります。人間の目では信用出来ないので,測定機器を使うことにしましょう。それでも測定誤差の問題が有ります。誤差ゼロは有り得ませんので,許容誤差を決める必要があります。つまり,必ず測定の間違いはあると言うことです。もちろん,その可能性は非常に小さくできます。

 なお,誤差は一般に正規分布します。3σを超える誤差は皆無に近いですがゼロではありません。従ってどんな大きな誤差もあり得ます。誰がみたって白いカラスに見えていても実は真っ黒いカラスたっだということも絶対無いとはいえません。実際上そんなことを考えても仕方有りませんが,理屈的にはそうなります。

■程度問題
 以上の話は,屁理屈でイチャモンを付けているようなもので,実用レベルの証明なら簡単にできます。あくまで思弁的に厳密なことを言い出したらならばの話です。そしてそれは,悪魔の証明も全く同じです。実用レベルなら不存在の証明だって普通に行っています。

 要するに,存在証明と不存在証明の不可能性は程度問題に過ぎないと言うことです。普通は,不存在証明より存在証明の誤差がずっと小さいと言うだけです。重要なのはその誤差がどの程度かでしょう。どんなことでも不確実性は必ず有りますが,考えている事柄についてどの程度の精度が要求されるかを考えなければいけません。

 残念ながら,程度の概念のない言説をよく見かけます。「本当に危険が存在しないと言えるのか」,「本当に,非科学的と言えるのか」。答えは程度次第です。