ずる

ダン・アリエリーの「ずる」を読了しました。不正についての行動経済学の研究を一般向けに紹介しています。最近STAP細胞騒ぎがあったので,特に興味深く思ったのが,創造性が豊かな人は不正をしやすいという実験結果です。その一方で「不正」と「知能」との関連はないようです。病的虚言者の脳を調べると善悪の判断や抑制に係わる前頭前皮質灰白質が少なく,白質が多いそうです。灰白質神経細胞の集まりで,それが少ないということは道徳性に頭が廻りにくく不正を行いやすいという推測が出来ます。一方の白質は脳細胞を結ぶ配線に相当し,これが多いことは,脳内の様々な部分との連絡が発達しているということで,自由な連想が得意,つまり創造性に優れているという推測が出来ます。創造性は望ましい性質ですが,自由な連想は嘘つきにする可能性も高いと言えます。 

 行動経済学では,直感的で瞬間的な判断と論理的で合理的だけど時間の掛かる判断という2つの判断を人間はすると主張しています。前者は創造的だけど誤りも多く,後者は堅実だが努力と時間を要し,創造的な仕事は苦手であるという特徴があるそうです。言われてみれば確かにそのような気がしますし,似たような言説は時々見かけます。例えば次は穏当な意見の例です。

空想と現実『ガリレオの指』
http://ryoanna.hatenablog.com/entry/2014/08/07/213437
STAP細胞も捏造が事実だとしたら問題だが、遺伝子不要の万能細胞が見つかれば再生医療は大きく飛躍する。時には前提から始める演繹的な手法も必要だ。科学だけではなく一般的な仕事にも同じ事が言える。目の前の現実だけ見ていてはブレークスルーは起こせない。

 ブレークスルーには創造的な能力が必要なので,仮説を生み出す段階では,検証されていない前提から考えることも必要だというような主旨だと思います。当然,仮説が定説となるには堅実な検証が必要ですが,そんなものは要らないと乱暴に宣うのがご存じ武田先生です。

時事評論 科学における日本の後進性
http://takedanet.com/2014/09/post_76fe.html

この記者は「優れた科学論文」を読んだことがなく、日本の多くの学者が出しているような「人の後を追って、条件を細かく検討している論文」しか見たことがないのだろう。科学は「仮説、実験、検証、結論、データ、理路整然」が大切なのではなく、「直感、推定、あやふや、再現性なし・・・」でもなんでもよく、要はわれわれ人間がどうしたら自然を少しでも理解し(理学)、その原理を人間社会に役立てるか(工学)であり、「確実性」などは本来は関係がない。

 武田先生の意見は仮説の言いっぱなしだけで,検証を無視したとんでもない暴論ですが,仮説段階では直感,推定も必要でそれが創造性と密接に関連していると言うことは間違いではないと思います。ただ,創造性に優れている人は,仮説を正当化する物語もなんなく作ることが出来,しかも自分でその作話を信じてしまうこともできるという危険もあるわけです。

 「背信の科学者たち」を読んでも,不正を行った科学者の多くは有能で創造的だったようです。科学者以外の一般の仕事でも,頭の回転が速く,仕事の出来る切れる人物が大きな不祥事を起こすことはよくあります。もちろん有能で創造的な人が必ず不正を起こすのではないのは言うまでもないことですが,不正の可能性が高いことを自覚するすればより社会に貢献できるのではないでしょうか。

 確信犯的に自覚した不正は少なく,多くは不正ではないと自分への言い訳をします。創造的な人は言い訳も上手いということです。でも,ちょっとした不正なら創造性のない私でも言い訳できますから,ときどきやらかします。私の様な平凡な人間は多いのでちょっとした不正の総数は非常に多くなり,社会への損害額も大きくなります。一方で,STAP細胞騒動のような場合の1件の損害が大きいですが,数は少ないわけです。そして,凡人の私も創造的な小保方さんも程度の違いで地続きだという自覚も大事かと思います。