理解

偶数と偶数の和は偶数である・リベンジ
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20140609/1402326144

■具体的例示と一般式が繋がらない

 リンク先のような極端な事例は,自分自身の思考や理解を考える参考になります。

じゃあ、4はどうかな、と聞いた。
 Rくんはしばらく考えて、
4=4×1
と書いたのである!

 ADHDの「空気が読めない」という症状を連想しました。もちろんRくんがADHDとは言いません。それに似ているなと私が感じただけです。明確に説明してもらわないと類推と言うことが出来ないように見えます。この場面の流れは,偶数を 2×□ という形にすることを考えています。しかし,言葉で直接問われたのは「4はどうかな」で,その問とそれまでの例示が繋がらないのではないでしょうか。

 その後のやりとりも同じです。

「えーっと…偶数っていうのは2の倍数だってRくんは言ったよね?(うなずく)だったら、
2×□
の形になるんじゃないかな?」
と再度聞くと、困った顔をしている。
 そしてRくんが次に書いたのは、
4=4×□

 この場面では,偶数は「2×□」という形に表現出来るという説明をしています。この状況の空気が読めれば,「2×□」と書いて有るけど「偶数=2×□」ということなのだと推測出来ます。しかしRくんは,それができないので困ってしまうわけです。そして「2=2×□」という式を思い浮かべたのかもしれません。その結果,4=4×□となるわけです。

■操作手順が明確なら操作できる

 その事は,操作手順が明確に定まっている問題はスラスラと解けることからも伺えます。しかし,どのような操作をするかを状況から判断する,つまり「空気を読む」ことが苦手のようです。算数の文章問題は,状況(空気)を読んでどのような操作をして答えを出すかを推測しなければなりませんが,それが困難なのでしょう。

 Rくんは,

  4+8=(2×2)+(2×4)
 =2×(2+4)

は分からないのに,

 2a+2b=2(a+b)

という式の変形は出来ます。これは,文字式の変形は操作手順を習っていて出来るのですが,具体的な数字でも同じようにやれば良いという結びつけが出来ないからでしょう。だから,文字式と同じ様に具体的数字でも変形して良いと教えられるとできる様になったのでしょう。しかし,自分で結び付けることが出来ないわけです。

■証明も式変形のように手順が明確ならできる

 最終的に紙屋研究所さんの「証明が不十分」という説明は理解出来ても,自分で説明を書きなさいと言われると出来ないのは,説明文の書き方が分からないからでしょう。書き方も明確な手順として教えてもらわないと出来ないのかもしれませんが,説明分の書き方は,式の計算以上に手順が明確に出来ません。とにかく経験を積むしか有りません。

 これでは,指示通りにしか動けないロボットではないかと思うかも知れませんが,人間はロボットみたいなところがあります。最初は指示された行動しか出来ません。つまり模倣をします。それを繰り返すうちに,指示されていない場合にも同じ操作ができるだろうという類推ができる様になります。ただし,類推は必ずしも論理的ではありません。なんらかの論理の飛躍が有ります。論理の飛躍が「空気を読む」という事なのだろうと私は思います。

 もし厳密に論理的に証明するとなると,型式論理的表現をしなければならなくなってしまいます。形式論理は高度な数学とも言えますが,指示された手順通りに推論を進めるロボット的な行為ともいえます。ロボットは空気を読んで,論理を補うことが出来ませんが,Rくんも似ていないと言えないことも有りません。

■論理の飛躍

 証明の方法は一つでは有りません。色々なやり方があり,式変形のように一本道では有りません。一本道なら,目的地が見えなくてもたどり着けますが。道が沢山有る場合は,目的地がおぼろげながらにでも見えていないとどのように進んで良いか判りません。目的地を見通すには論理の飛躍が必要です。何しろ,証明という論理はまだ完成してないのですから。証明を考えるのは,論理の飛躍を後付で埋め合わせる作業のようなものです。

 目的地が良く見えていないと,完成した証明を読んで理解できたように思えても,自分で証明が出来るとは限りません。繰り返し訓練して目的地が見えるようになる必要があります。「目的地が見える」とは「空気が読める」ということだと思います。Rくんも訓練すれば,「空気が読める」ようになると思います。ただ訓練が困難な人もいて,そう言う人がADHD等と病気に分類されるのだろうと思います。でも,明確な境界が有るわけでなく,程度問題じゃないかと思います。大抵の病気でもいえることですが。

 ただ,Rくんとロボットは似たところも有りますが,違いも有ります。明示されていない条件を空気を読んで推測するのが苦手という点では似ていますが,Rくんは,知っている条件があれば,それだけでは不足でも論理の飛躍を行うことが出来ます。円柱の問題を間違えたのがその例です。Rくんが利用出来なかった円柱の体積の計算式をロボットも知らないならば,ロボットは間違えることも出来ず分からないとしか答えられない筈です。それは,「正くんの証明は正しい」と間違えていることからも推測出来ます。全く論理の飛躍が出来なければ分からないと答えると思います。

■程度問題

 数学は一般化が主要な作業になります。一般化とは,異なるように見えていたことが本質的に同じ事であると示すことで,今まで異なると思っていたことが繋がることではないかと思います。つながりの証明は論理的に行われますが,感覚的に繋がっていると感じることが出来れば納得感が得られます。論理の展開には時間を要しますが,感覚的な納得は一目瞭然で全貌が見通せる感じがします。前述の目的地の見通しです。

 算数のような初等的な数学では,納得感が先に有る場合が多いです。偶数と偶数の和が偶数になるなんて当たり前で,証明する必要もないように感じます。このレベルだと目的地というよりも「空気を読む」という方が適当かもしれません。むしろ証明の方が難しいです。それが段々と高等な数学になっていくと,証明の論理は追えても,納得感が得られなくなってきます。Rくんの場合,初等的な算数でこの様な状態にあるような印象が有ります。

 私自信も数学の証明の論理を追って分かったような気がしても,どこか納得出来ないし,自分で証明しようとすると出来ないことはよくあります。