閉鎖社会のルール

掛け算順序問題は、繰り返し話題になりますね。

ネット上の議論は別にして、教育現場の現象としては、算数や数学の問題ではなく、閉鎖的社会では理不尽なルールがはびこるという普遍的な問題だと思います。こんな馬鹿なことがなぜ行われているんだろうという経験は大抵の人は経験しているのではないでしょうか。私もあります。それを指摘しても無視されますが、しつこく指摘すると、「困りもの」とみなされそうになります。その辺は、うまくやらないといけないんですけどね。

学校のルールについては、ファインマンさんが次のように言ってます。

 三つ年上の従兄が高校時代、代数がよくできなくて家庭教師が教えに来ていたことがある。家庭教師が教えている間、僕は隅っこに座って聞いていてよいことになっていた。従兄がしきりにxの話をしているのを聞いていた僕が
 「ねえ、いったい何をやろうとしているの?」とたずねたら、彼は
 「なに、たとえば2x+7=15という問題なら、そのxが何だか当てなくちゃならないのさ」と答えた。
 「ああそんなら答えは4だろう?」と僕が言うと、
 「そうさ、だけどお前は算数でわり出したんだろ。こっちはその答えを代数で出さなくちゃならないんだぞ」
といばった。僕の代数は学校で教わったのではなく、屋根裏の物置で見つけた叔母の古い教科書を自分で読んで学んだものだ。おかげで、問題の目的は要するにxがいったい何であるかをつきとめることにあり、その答えをどのやり方で出したかなどどうでもいいんだということを悟ることができたのは、実に幸運だったと思う。そもそもxを出すのに代数でやるとか、算数でやるとかいうことがあるもんか。「代数でやる」というような考え方は、代数を勉強する生徒がみな試験にパスするように、学校が勝手に作り出したいい加減なルールに過ぎないよ。自分がそもそも何をしようとしているのか、その目的も意味もわかっていない者でも、やれ7を両辺から引くのだとか、やれ係数があるときは両辺ともその係数で割るのだとか、ただ順番に当てはめさえすれば答えが出せるというようなルールなんだ。だからいつも自分でものを頭に入れた僕は幸せだった。
  ー「ファインマンさんは超天才」C.サイクス 大貫昌子[訳]ー

 そういえば、学校のルールとは、その目的も意味もわかっていない者でも、答えが出せるための、つまり落ちこぼれがなくすためのものである、と学校の先生が発言していました。ファインマンのような天才の子供だけを相手にしているんじゃないのだよ、というニュアンスでした。ただ、正確には、「落ちこぼれをなくす」ではなくて、「落ちこぼれていないように見せかける」じゃないかと思いましたけど。言い換えれば、自分が落ちこぼれを出しているように評価されないためではないかなと。私も理不尽なルールを指摘しすぎて職場での立場が危うくならないように、ほどほどにしましたからね。
 算数としては簡単な話ですけど、閉鎖社会のルールとしては難しい問題だと思います。ところで、ファインマンさんは、スペースシャトル爆発事故原因究明で、その難しい組織の問題も見事に解決していますね。子供っぽいいたずらのエピソードが多い天才ですが、現実的な問題解決の天才でもあるとおもいます。