標語

T.K. @aizujin_k
@kikumaco @yotayotaahiru 正直に言うと、「怖がる」に正しいもへちまもないだろう、と言う気持ちが未だにあります。個人的には「怖がるな!」と言っちゃう方なんですが、「怖がる」人を見ていて、正しい、正しくないの基準はそぐわない気がしました。

 これは「正しく、怖がれ」という言葉に対する反応で、まあ確かにそうでしょう。「怖がる」というのは感情なのだから、正しいもへちまもありません、理屈をいえば。

 野暮な解説をすれば、「怖いのは当然の反応だが、本当に危ないかどうかは客観的に考えよ」となるでしょうが、それじゃ散文的すぎてインパクトがありませんからね。キャッチコピーは、文法的におかしかったり、違和感や引っかかりのある表現を意図的にする詩のようなものですから。意図以上に引っかかる人も出ても止もえないでしょう。

 標語やキャッチコピーみたいなものは、簡潔でインパクトが必要なので、詳細は省略してあります。それが使われる文脈や状況を補って考える必要があります。というか、詳細な説明のあとのまとめとして、使われることが多く、つまり、詳細な説明を理解している人が、それを記憶したり、引き出すためのキーワードとして使われるものだと思います。ですので、そのようなバックグラウンドを無視すれば、不適切な状況はいくらでも出てきます。バックグラウンドを共有していない相手からは反発もあるでしょうから、むやみに使うのも考えものです。

 「正しく怖がれ」の反対の言葉として「考えるな、感じろ」というのがあります。これは、スポーツの練習の状況で使うもので、教室で勉強している生徒に言ったりしませんね。格言だって、「早起きは三文の得」と「急がば回れ」は状況で使い分けます。小うるさい説教への返しとしてよく使われるのは「早起きの虫は鳥に捕まえられる」。