昭和18年7月

 ソロモン戦隊はガダルカナルを占領され,今又ニュージョージア島も苦戦。飛行場も完成と同時に壊滅的に叩かれ,戦況は悪化の一路をたどる。此処に来て今更出るに出られず,引くに引けない情況となっている。
 大本営も半ばニュージョージアを絶望視し,第8艦隊司令部も半数の損害を覚悟。百武軍司令官も引き揚げられれば大成功と思う」と言われた由。下部へは知らされなかったが,8月に入り上層部ではニュージョージア島も諦め転進を考えていたと思われる。だが運ぶにも既に艦船がないという現実である。
 当時コロンバン周辺は既に空と海から米軍に完全に包囲され,南東支隊は玉砕寸前に追い詰められていた。
 この頃のことだった。大学卒で中隊の事務系統を司っていた0兵長が「どうせ此処まで来たら玉砕だ,どうして自分等だけこんな島に放ったらかして後は知らんと,天皇を恨むよ」と言ったことが頭にこびりつき離れなかった。その時ある兵が「O兵長も碁をするでしょう。碁では捨て石ということやるでしょう。此処の戦況は悪いが多方面ではニュース通り勝っているでしょうが」と向かい合って言う。矢張り大隊本部等へ命令受領に行けば色んなニュースをきいてくるんだなあと私は一人で思っていた。昭和15年6月入隊以来こんな話を聞くのは初めてであった。
 二日後,4中隊が苦戦しているとのことで,ムンダ出撃命令出る。4中隊は敵と接近手榴弾を投げ合っている由。夜に入り,大発の待つ桟橋へ向かう。乗船愈岸を離れる。砲弾の音が次第に近くなってくる。陸が平たく広いように見える所に来たがムンダの飛行場だ。大発の海軍さんが「この辺一帯敵重砲弾のため穴だらけで焼け野原ですよ」と教えてくれる。最近作られたらしい椰子の木丸太の桟橋に着く。硝煙の臭いが鼻をつく。一面焼け野原で立木は一本もない。如何に敵の攻撃が激しかったかがわかる。
 直ちに砲を組み立てる。穴だらけの飛行場を縦断すると海が見え,その向こう岸がレンドバ島だ。ドドドドンと音がし吾々の近くで破裂する。飛行場を通過しレンドバ島の対岸を進む。敵戦車の来襲を防ぐため,椰子の木は日本軍が道路中央に向かって両側から切り倒している。砲を分解してはその椰子の木を越え,又はくぐり砲を担ってゆく。レンドバ島で発射の光がすると皆が伏せる。ドドドン炸裂音を聞けば皆顔を見合わせ砲を担ぐ。道路端に防空壕があったので思わず飛び込んだところ,誰か先客者の上に滑り込んだ。「ごめんなさい」と言ったが返事がない。ハッと気がつく。戦死者の上に滑り込んだのだ。又ドドドドンと飛んできて爆発する。木の葉や枝が頭上に散ってくる。暫くしてのこと,日本兵が山砲を担ぎやってくるのと出会う。何事だと思い闇の中に見定めると,我々が行こうとする4中隊の兵である。顔見知りのH田兵長に「どうした」と聞くと,「貴方たちは何処へ行く」と聞き返された。兵長は「第一線は崩れた。歩兵も既に退いたよ」と教えてくれる。山崎少尉に連絡すると「自分もそのように聞いた」との答え。それでは5中隊も桟橋付近まで退がろうということになった。今来た道を亦重い砲を担ぎ切り倒された椰子の木を越え,敵砲弾に悩まされながら引き返した。飛行場で砲を組み立て,引いて桟橋へ向かう。雑木林の所迄来て休憩。其処で一泊。皆退がる者ばかりである。夜が明けた。歩兵より連絡あり,「接近した敵のため退がるに退がれず困っている。敵味方の間に弾丸を撃ち込んでくれ」とのこと。中隊より命を受け敵味方の間に弾を撃ち込むことになった。
 少しでも間違えば味方の上に弾が落ちる。だが撃たねばならない。砲車の位置を捜すが林の中では適当な場所もない,矢張り焼け野原穴だらけの飛行場迄前進しなくては射撃が出来ない。それまでレンドバ島より重砲の砲撃はないが,敵観測機は既に飛び回って,米軍の重砲陣地へ当ムンダ飛行場の状況を通告していると思慮される。敵は西南の方より低空通過飛行場をレンドバ島の方へそしてニュージョージア島の山陰に入り,西南の海上より低空でやってくる。その山陰に敵機が旋回したのを見計らって射撃をしなければならない。
 時間を計ってその間撃てるのは5発となる。早速山砲を珊瑚礁の石だらけの所迄進出。倒れた椰子の枝,破れたトタン屋根,その付近の大きな木片等を被せ射撃準備をする。火砲に眼鏡を装着,1番S藤,2番N田,3番T木同年兵ばかりだ。T崎隊長命距離500米直接照準となり,敵観測機が山陰に入るのを見て砲側に飛び出し遮蔽物を取り除く。T木兵長弾込,2番照準「ヨシ」,隊長「撃て」,S藤兵長
りゅじょう(?)を引く。弾は飛び椰子林で破裂する。直ぐ弾を込め,照準ヨシ,隊長「撃て」,一番りゅじょうを引く。5発撃ち終わると椰子の枝で砲煙を煽ぎ消す。砲の遮蔽のためトタン屋根,板切れ等を被せ防空壕へ滑り込む。西南海岸沿いに急に爆音がし低空でブーンとやってくる。何回繰り返したか判らないが,方角だけ少しづつ左に右にずらし40発発射したと思う。敵機の下で砲を撃つ,本当に一面焼け野原だ。「生きて帰れば親の元,死んで帰っても御仏の元」と念じていると落ち着いてくる。
 「撃ち方止め」の命で休んでいると,歩兵が一個分隊位づつ何回か後方へ退って行く。歩兵の将校が「山砲さん有り難う,自分たちが最後です。後には日本軍は居りません。後退されたらどうです」と言う。T崎小隊長も「皆無事に退ったら任務完了。分解後方へ退がる」と命じ,担いでジャングルの中へ待避する。敵機は交替で廻っている。亦敵のドドドンが始まった。戦地も此処まで来ると,日本内地のことなど全然思い浮かんで来ない。どうして弾をよけるか,敵をあざむくかというとことばかりで頭一杯だ。我々兵には今からどの方向へ行くのかも判断つかない。前を行く者の後影を見失わないように進むだけである。小高い岡の上まで来た時,敵3機の爆撃を受ける。皆地面の低い所に伏せる。近くに3発落ち山砲の大架左脚の半分程えぐられる。他に被害はと思い後方を見ると「中隊機関の通信兵がやられた」という声。皆その方を振り向くと,直撃を受け既に息絶えている。分隊長N渕軍曹は小指を切断し手を合わせたかと思うと素早く山を下ってゆく。吾々も遅れては大変,破壊された大架も担がせ山を下る。砲身は重い。下りダラダラ坂では足が滑り砲も落ちそうだ。
 苦痛この上なし。苦しい逃避行がつくづく身にしみる。岡を下り樹木の高く茂っている所迄くると夕刻とも成り,ドドドドンも聞こえなくなり静かだ。「こんな夜はよく故郷のことを夢見るなあ」と呟くと皆も「そうだよ」と言う。その夜不思議に「東京が空襲を受け,皇居の建物も焼け,閑院宮殿下が大きな髭を撫で乍ら「困ったものだ」と言って居られる軍服姿」の夢を見た。本当に夢で済んで呉れたらよいがと思う。