19年3月上旬 戦地での重営倉

 6師団弾薬倉の衛兵に小生ら4名勤務した時である。交代直後馬に乗った将校が二人来たので小生「キエタ弾薬倉、警備中異常ありません」と報告。ところが一人の将校が馬から下り、手榴弾を積み上げた弾薬箱を2段3段4段目迄開いてみる。ところが手榴弾は一段目だけきれいに並び格納されているが、2、3、4段目の箱は空箱ではないか。巡察の将校に詰問されたが、無いものを何と返事の仕様がない。それまでの歩哨勤務についた者が役得として、漁獲用に持ち帰っていたのだ。「不注意で申し訳ありません」と答えるだけである。「明朝まで員数を全火薬砲弾について調べ、結果報告し、交代者へきちんと引き継ぎをなすこと」「この処置について後日師団より中隊へ通知する」と言い乗馬したので「敬礼」と呼び、立ち去ってもらった。
 引き継ぎ確認もしない歩哨は悪い。今後弾薬の補給は、まして鹵獲山砲でもあり、つかないことはよくわかる。然し現在兵は弱りきって了い、食べることが第一の努めになっている。帰隊後小隊長に報告したが「とうとうばれたか、気にするな、後日呼び出しがあるだろう、それ迄謹慎のつもりで温和しくしておりなさい」とのことである。小隊長も手榴弾のないことは知っていたのか?
 その後一ヶ月半ほどして、仰々しく軍命令で一ヶ月重営倉ときた。小隊長は「処分は15日前に終わったことにする」とそのままであった。島よりの雑務は外出禁止で楽な営倉であった。