「眠り姫問題」混乱する原因 ― 多重人格バージョン

  • 1/3と考える消極的理由

 nananana0110さんから前の記事に興味深くて貴重なコメントを頂きました。

 まとめの記事を書いたばかりですが、コメントも頂いていろいろ混乱する原因を考えたので、再び記事を書きました。

  nananana0110さんがおっしゃる通り、そもそも何を答えるべきなのかあやふやなのだと思います。ではなぜあやふやなのに、あやふやと感じないで「1/2だ。いや1/3だ。」と論争になるのでしょうか。その前に、あやふやと言いながら私は1/3と主張しています。その理由を最初に述べます。

 ゆがみのないコインを投げ表が出た事前確率なら答えは「1/2」です。しかし、「眠り姫問題」の諸条件の下での事後確率なら「1/3」が妥当と思います。質問を分解してみます。

 

問1-1「今が月曜日の確率は?」

 多分、2/3という答えが多いと思います。火曜日には目覚めない場合もありますから。

問1-2「今が月曜日で、表がでた確率は?」

 最初の質問に2/3と答えたのなら、その1/2で1/3と答えるのではないでしょうか。

問2-1「あなたが目覚める前に表が出た確率は?

 この質問はあいまいですが、目覚めたという条件がないと考えてください。1/2という答えが多いと思います。

問2-2「あなたが目覚める前に表が出て、目覚めた今が月曜日の確率は?」

 表が出た場合は月曜しか目覚めないので、1/2×1=1/2と答える人も多いと思います。

 

 問1-2と問2-2は同じ質問のように見えますが答えが違います。何故でしょうか。問1の場合は最初から表火は排除して考えています。つまり、表月、裏月、裏火の3つの可能性のうち表月、裏月の比率を問1-1で尋ね、さらに問1-2で問1-1の答えに表月、裏月のうち表月の比率を乗じるように誘導しています。

 一方の問2では、最初は表火を排除していません。問2-1は表月、表火、裏月、裏火に4つの可能性のうち表月、表火の比率を尋ねているのに、問2-2で、既に表火が排除されているように誤誘導しています。正解は問2-1の答えに1/2を乗じ1/4となります。問2シリーズは、4つの可能性のうちの一つですから1/4となり、問1シリーズは3つの可能性のうちの一つですから1/3です。別に矛盾はありません。

 問2-1で、表火を最初から削除された形で尋ねるのならば、表月、裏月、裏火のうち表月の確率を尋ねることになり、答えは1/3です。これがもともとの「眠り姫問題」の質問(問0)です。問2シリーズはあいまいで混乱を招く質問で、「眠り姫問題」は、それに類した推論に誘導されるように作られていると思います。「眠り姫問題」は問2-1を尋ねていると解釈することも可能ですが、それならば記憶が無くなるというような気持ち悪い設定は不要です。確かに事前確率と事後確率のどちらを尋ねているかあやふやですが、設定を使う方が妥当だろうということで私の意見は1/3なのです。

 

  • 混乱する原因

 何故このような混乱が起こるのかですが、条件付確率に付き物の混乱ではないでしょうか。なお、ここからは心理の話なのであくまでも推測になります。

 条件付確率では事前確率や事後確率という言葉があり、時系列的な前後関係を意味しているわけではないのですが、何となくそのような印象を与えています。さらに確率には、将来起こる不確実な事柄というイメージがありますが、既に起こってしまった過去の出来事も確率として扱います。未来、過去、実際の状態に無関係に得られている情報から考えて可能性のある事柄のうち、特定の事柄の比率を確率と言っているだけです。初期状態で得られている情報での確率を事前確率といい、情報が増えて修正した確率が事後確率です。

 そうなのですが、人間の心理は時系列や実際の状態(たとえ不明でも)というものにどうしても影響されます。「眠り姫問題」では最初のコインが投げられ表裏は決まっています。それは変わりませんが、得られた情報で確率は変わるというところに違和感があるのだと思います。前述の問1-2で用いる表の確率は月曜日という条件付き確率で、無条件の場合の事前確率とは違うのですが、結果的に1/2と同じ値になるので、意識せずに済みます。

 ところが問2シリーズになると、表の確率や月曜日の確率が、目覚める前という条件なのか目覚めた条件なのかで違うため、正しく考えるには意識する必要があります。問1-1の月曜日の確率は目覚めている条件を意識しやすいですが、問2-2の質問やもともとの問0では意識しにくいのではないでしょうか。

 それに加えて、記憶がなくなるという非現実的な設定も経験がないので想像しにくいです。ところで、記憶が無くなるのは、人格が分裂し別人格の記憶がなくなる多重人格に似ています。ということでまたまた別バージョンを作ってみました。

 

  • 多重人格バージョン

 多重人格の眠り姫がいる。分裂した人格は全く同じで区別がつかず自分でもわからず、他人格のときの記憶は残らない。また分裂する前の人格は共有していて、その経験を記憶している。

 コイン投げが分裂のスイッチになる。表が出ると1日だけ姫Aになり、裏が出ると1日目は姫Bに2日目には姫Cになる。人格が変わった時に次に質問をする。

 なお、以上の状況は分裂前にすべて説明してある。

 

問1 あなたが姫Aである確率は?

問2  コインが表だった確率は?

 

 問1と問2は同じ質問であると私は考えます。

 

(3/17 追記)

 1/2と1/3以外の答えがなく、1/2と1/3の何れで考えても矛盾が発生するならパラドックスです。でも私は、1/2では矛盾が生じますが、1/3では生じないと思います。1/3での矛盾が何か私にはよくわからないのですが、実験前は1/2、実験中は1/3、実験後に1/2と眠り姫の答えが変わるのは矛盾ではありませんね。それぞれの時点の情報量が違いますから。

 にもかかわらず、「記憶が消え,る」ガジェットが矛盾のように感じさせるのではないでしょうか。記憶がある普通の状態では情報量は増えつづけ、減ることはありませんが(過去の情報が間違いと取り消されることはあります。)この問題では増えたり減ったりします。実験中は質問をされているという情報が増え、実験後に記憶が消えれば実験前と同じ情報量に戻ります。裏火で質問を受けている状況も裏月から情報量は増えません。現実にこのような経験をすることはないので奇妙に感じるのではないでしょうか。

 これ以外の矛盾があるのかもしれませんが、今のところ知りません。気づいていないだけかもしれませんので、気づいたときには意見が変わる可能性もあります。

 

 

 

「眠り姫問題」現時点のまとめ

 「眠り姫問題」関連の記事をいくつか書きました。途中で微妙に意見が変わったりしたので、一旦ここで自分の意見をまとめました。

記憶が無くなる気持ち悪い設定やら、意思決定問題だとか人間原理みたいな要素をきれいさっぱりそぎ落とし、確率計算に必要な情報だけにすると単純です。

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問1:「いまは日曜日、実験開始直前である。コイン表 である確率は?」

問2:「さあ、あなたは目覚めた。コイン表である確率は?」

問3:「さあ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。コイン表である確率は?」

 

答1: 問題条件より、1/2

答2: A/(A+C+D)

答3: A/(A+C)

   「眠り姫問題」は、確率が変わる状況の違いを分かりにくくしているところが、「2人きょうだい問題」や「モンティホール問題」と似ています。

問1: 近所に引っ越してきた一家には子供が2人います。

奥さんに「女の子はいますか?」と訊いたら、「おります」という返事でした。

もう1人が女の子である確率はいくらですか?

問2: 近所に引っ越してきた一家には子供が2人います。

奥さんが女の子を一人連れて挨拶に来ました。もう1人が女の子である確率はいくらですか?

 

答1: (姉妹)/(姉妹+姉弟+兄妹)

答2:(姉妹の姉+姉妹の妹)/(姉妹の姉+姉妹の妹+姉弟の姉+兄妹の妹)

  「2人きょうだい問題」では、姉妹、姉弟、兄妹、兄弟の可能性は同等だし、姉妹の姉、姉妹の妹、姉弟の姉、兄妹の妹も同等(同様に確からしい)であることに異論を唱える人は多分いません。統計で確かめることもできます。しかし、「眠り姫問題」ではA、B、C、Dが同等かどうかで意見の一致を見ないわけです。これはもはや数学の確率の議論ではありませんね。数学では「同様に確からしい」につては言及しませんから。  

私は、上記のA,B,C,Dはすべて同等と考えますので、問2は1/3、問3は1/2になると思いますが、A=1/2、B=0、C=D=1/4と考える人もいて、その場合の問2は1/2、問3は2/3になります。1/3や2/3に引っかかる人も多いですが、前提のA,B,C,Dをそうなるように自分で仮定したのだから認めるか、自分の仮定が誤りだったと認めるしかないでしょう。私は問2の1/3に当初、違和感がありましたが、今はなくなりました。

  紛糾しているのは、問題文に述べられている非現実的な状況の解釈です。それによって、A,B,C,Dの比率が変わってきますが、そこは数学の問題ではないので平行線でしょう。「二人きょうだいの問題」のように、統計や実験で確かめられる現実的なバージョンをいくつか作ってみましたが、それは「眠り姫問題」とは違うと言われてしまえばどうしようもありません。納得しない人はしないでしょう。例え話をしても「それは話が違う」と言われるようなものです。そう意味であいまいな問題だと思います。

 

(追記3/15午後)

 1/3派の私が考える、A=1/2、B=0、C=D=1/4の状況は次のようになります。

表が出たら月曜日に質問する。

 裏が出たら、もう一度コインを投げ表が出たら月曜日に起こして質問し、火曜日には起こさない。2投目のコインも裏ならば、月曜日には起こさず火曜日に起こして質問する。質問は一投目の表の確率である。

  1/2派の人に尋ねたいのは、上記の場合のA,B,C,Dをどのように考えるのかです。

「眠り姫問題」目撃者バージョン・認知症バージョン

  •  目撃者バージョン

 一人姫のオリジナルバージョンでは、表月、裏月、裏火の3つの状況で眠り姫が体験している客観的状況は全く同等です。ただし、記憶が消えない当たり前の設定では、曜日が分かってしまい、それが月曜日なら、表の確率は1/2と簡単に分かってしまいます。

  それを防ぎ、裏で火曜日の可能性を排除しないために記憶が無くなるという設定にしているのですから、その設定では表の確率は1/3と答えるしかないと思います。しかし、非現実的な設定であるため、違和感があり議論が紛糾するのではないでしょうか。

 非現実性による違和感をなくしたのがひとつ前の記事の4人姫バージョンです。現実的な設定で、裏火の可能性を排除しないようにしていますが、表の確率を推理するために与えられる情報は一人姫バージョンと同じです。

  もう一つ、設定の違和感をなくすために、眠り姫にではなく第三者に質問するバージョンもあります。この場合も眠り姫と第三者(目撃者)に与えられる情報は同じです。

  コインが表なら眠り姫に翌日に1回質問をする。裏なら翌日と翌々日の2回質問する。いつコインが投げられるかは分からない。あなたは、偶然、眠り姫が質問を受けているところを目撃した。コインが表だった確率は?

 記憶がなるなるのは非現実的な設定ですが全く現実にありえないわけでもありません。認知症になると短期記憶が失われます。そのため、10分経つと同じ会話を繰り返すという悪夢のような状況が現実に起こります。さらに記憶以外の知性は健全であったりします。普通は記憶障害の自覚はないのですが、説明すれば理解し、1日だけ覚えているとして、次の問題を作ってみました。

  

短期記憶(1日程度)障害はあるがその他の知性は健全な認知症の治療薬ができた。ただし、服用した日までの記憶は回復せず、服用翌日からの記憶が失われないだけである。また、服用の翌日までに検査で効果が確認できる確率は1/2である。翌日に医師が状況説明と検査を行い効果があったか確認する。ただし、結果は医師しかわからず患者には教えない。患者が効果を自覚するのは翌日以降である。1回目の検査で効果が確認できない場合は翌々日に再度検査する。

問1:1回目か2回目か不明だが医者の検査を受けている患者がいる。1回目の検査で効果があった確率は?

問2:検査中の患者自身は、現在が1回目の検査で効果が確認できた確率がいくらだと考えるか?

 

「眠り姫問題」4人姫バージョン(実は眠らない)

■ 前記事の(追記2)の続き 

「眠り姫問題」の分かりやすいバージョン(追記あり) - shinzorの日記

の続きを考えていたら長くなったので新しい記事にしました。

 今のところの意見は「眠り姫問題」はあいまいな問題じゃないかなと思います。

 モンティホール問題でもあいまいな記述がされているものがあります。回答者が選ばなかった残り二つのドアのうち一つを開くと外れですが、外れのドアを選んで司会者が開いたのか、答えを知らずに開いたら外れだったのかで確率は変わります。

 

 このようなあいまいさをなくすために前の記事で分かりやすいバージョンを考えました。前の記事の追記を再掲します。

①1回の実験の後に箱から1枚を抜き出す。箱の中は1枚の赤札か2枚の青札かでそれぞれの確率は1/2なので、赤札を抜き出す確率の期待値は1/2

②多数の実験の後に、札が累積した箱から1枚を抜き出す。箱の中の赤札と青札の割合の期待値は1対2なので、赤札を抜き出すの確率の期待値は1/3。

 

 オリジナル眠り姫問題は、分かりやすいバージョンの①と②のどちらに対応しているのでしょうか。眠り姫が質問を受けるのは1回の実験の最中なので②ではなく、①であるようにも思えますが、①も実験の最中ではなく、実験後に札を抜き出す設定です。実験終了後に目覚まされた眠り姫が「実験は終わった、コインが表だった確率は?」と尋ねられた状況に対応しています。ではどちらでもないのでしょうか。

 

 確かに眠り姫は1回の実験の最中に目覚めて、確率を推定しますが、1回の出来事の確率というのはその出来事が多数行われた場合にその出来事が生じる回数の全体に対する比率です。眠り姫が推定しなければならないのは目覚めた今の状況で表である確率です。1回の実験で裏だった場合には青札は1枚ではなく2枚箱に入れられます。そして1回の目覚めは1枚の札に対応しています。眠り姫問題を②に対応していると考えていけない理由はありません。いけないのならば、1回だけの出来事の確率について別の定義をしなければなりません。

 

■ 4人眠り姫バージョン 

 そこで、4人の眠り姫バージョンを考えてみました。このバージョンの眠り姫は眠って記憶を失う必要がないので状況が現実的でモヤモヤ感がなくなります。

 

実験には4人の姫が参加し、実験開始後は以下のように進む。

実験の進め方はすべて4人の姫に説明する。

コインが表なら姫Aに尋ねる。コインが裏なら姫Cと姫Dに尋ねる。姫Bには尋ねない。もちろんコイン投げの結果も、姫A~Dのいずれかではあるかも教えない。

 

問1:実験開始前に4人に表が出る確率を尋ねる。

問2:実験開始後に表が出た確率を尋ねる。

          (尋ねるのは姫Aかあるいは姫Cと姫Dになる。)

問3:実験開始後にあなたは姫Aか姫Cであると教え、表が出た確率を尋ねる。

 


「眠り姫問題」の分かりやすいバージョン(追記あり)

  • 解決したみたい

眠り姫問題」なるものを最近知りました。ざっとネットで見ただけですがどうも未解決の難問らしいです。実際に私も混乱してしまいましたが数日考えていたら分かったような気がしてきました。未解決の問題を自分が解決出来る筈がないのでどこか勘違いしている可能性が高いですが、あまりにも自分自身の疑念がなくなったので説明します。間違いの指摘、歓迎します。

 

骨格は単純ですが、いろいろ混乱させる仕掛けがある問題だと思いました。問題は以下の通りです。三浦俊彦『多宇宙と輪廻転生』の記述です。(この本は読んでいませんけど。)

 

 日曜日に、ある実験が始められる。まず、あなたは眠らされる。そのあとフェアなコインが投げられ、表か裏かによって、次の二つの措置が選ばれる。

場合A:表が出た場合 - あなたは月曜日に一度起こされ、インタビューされ、また眠らされ、ずっと眠り続ける。

場合B:裏が出た場合 - あなたは月曜日に一度起こされ、インタビューされ、また眠らされ、火曜日に一度起こされ、インタビューされ、また眠らされ、ずっと眠り続ける。眠りは記憶を消すほど深いので、目覚めたとき月曜か火曜かはわからない。

いずれの場合もあなたは、実験の手続きについてはすべてわかっているものとする。目覚めたときに自分が月曜にいるか火曜にいるか、そしてコインは表だったのか裏だったのかがわからないだけである。

ちなみにコイン投げがなされるタイミングについては融通が利く。コイン投げは、あなたが最初に起こされる前でも、月曜にあなたが目覚めた後でも、問題の論理構造は変化しない。

さて、あなたへのインタビューは次のようなものである。

問1:「いまは日曜日、実験開始直前である。場合 A である確率は?」

問2:「さあ、あなたは目覚めた。場合 A である確率は?」

問3:「さあ、あなたは目覚めた。今は月曜日である。場合 A である確率は?」

このうち問2と問3が「眠り姫問題」である。

  

 直観的に、問2も問3も1/2だと思いました。しかし、簡単な計算をすれば分かりますが問2が1/2だと問3は2/3になってしまいます。また、問2が1/3だと、問3は1/2になり、それが正しいような気もしてきました。いろいろ考えていると1/3と1/2でフラフラと二転三転し混乱してしまいました。

 

 この種の問題では極端な例を考えるのがヒントになる場合があります。この問題では裏の場合、目覚めるのは2回ですが、これが100回だと考えてみました。それだと裏の確率が高そうな気がしてきました。更に極端に、表では目覚めないのなら、表の確率は明らかにゼロです。目覚めたという条件での表の確率を問われているにもかかわらず、最初の直観は、無条件(問1の場合)の確率に引きずられていたようです。

 

 この問題は、表がでて月曜日に目覚める確率はいくらかという問題と同じと解釈できます。この場合は、実験開始前に質問でも構いません。起こりうる事象は、①表が出て月曜に目覚める場合、②裏が出て月曜日に目覚める場合、③裏が出て火曜日に目覚める場合の3つです。そしてその可能性は総て同じはずです。何故なら、コインの表裏は同じ確率なので①と②は同じです。②が起こった場合は必ず③も起こり、①が起こった場合は起こりえませんから②と③も同じです。従って問2は、すべて同じ確率で1/3です。

 

 更に言い換えると、表が出て目覚める回数と裏が出て目覚める回数のどちらが多いかになります。当然前者1回、後者2回ですが、前述のようにこの3回の可能性は同等なので、目覚めた場合に表である確率は1/3になります。

 

  • 私が混乱した原因

 最初にこの問題を考えた時に混乱したのは、問2と問3は別の問題なのに、表月、裏月、裏火の確率は両問題で共通と考えてしまったためです。3つの事象の可能性は同等なので、その比率ならば1:1:1と両問題で共通です。問2は2日間でありうる3つの事象について考えているので、3つの確率の和が1となり、それぞれの確率は1/3になります。一方、問3は、月曜日の1日にありうる2つの事象について考えているので、2つの確率の和が1となり、それぞれの確率は1/2です。違って当然なのに同じにならないのは矛盾だと混乱してしまいました。

 

 少し補足しますと、裏月と裏火に目覚めるのは背反排反事象ではなく、裏が出れば必ず2回、目覚めますから、3つの事象の和は1にならないのではないかという疑問を持ちました。裏月と裏火は二つでワンセットの事象として考えないといけないのではないかと。しかし、それは裏の確率であり、結局のところ問1を考えていることになります。

 

 問2と問3で質問されているのは目覚めた時に表である可能性です。目覚めた時に月であり火でもあることはあり得ないので、背反排反事象です。目覚めた時に表であるのは月しかありませんが、裏であるのは月と火の2回の可能性があります。

 

 記憶が消えるというのが混乱を招く原因かもしれません。実は「表が出て目覚める回数と裏が出て目覚める回数のどちらが多いか」という言い換え問題では、この条件は不要です。ただし、曜日が分かると排除される事象があるので確率は変わります。実験前に質問すれば確率を尋ねる眠り姫問題と同じになります。

 

 それにしても、面白い問題だと思いました。自分が如何に思い違いをするかを痛感させてくれる問題です。(まだ、思い違いしているかもしれませんが)最初は、条件が不明確な問題ではないかと疑いました。記憶が消える薬などというガジェットが出てくるからです。また「人間原理」とも関わる哲学的問題ではないかと大げさに考えたりしました。でも関係なかったみたいです。

 

  • 分かりやすいバージョン

さらに納得感を得るために、分かり安いバージョンを考えてみました。

 

日曜日に、ある実験が始められる。フェアなコインが投げられ、表か裏かによって、次の二つの措置が選ばれる。

場合A:表が出た場合 -月曜日に赤いカードを月曜日箱に1枚入れる。

場合B:裏が出た場合 -月曜日に青いカードを月曜日箱に1枚入れ、さらに火曜日に青いカードを火曜日箱に1枚入れる。

水曜日に月曜日箱と火曜日箱のカードを混ぜて水曜日箱に入れる。

 

さて、あなたへのインタビューは次のようなものである。

問1:「いまは日曜日、実験開始直前である。場合 A である確率は?」

問2:「水曜日箱から1枚取り出した。赤いカードである確率は?」

問3:「月曜日箱から1枚取り出した。赤いカードである確率は?」

 

 

 このバージョンとオリジナルは違うと言われるかもしれません。特に、「問2と問3で「場合Aである確率」ではなく「赤いカードである確率」を質問されることです。これに本質的な違いがあるのでしょうか。私はそうではないと思います。むしろ、オリジナル問題の方が、問1と問2、3の違いを分かりにくくしているのだとおもいます。

 

 そこで、オリジナルと分かりやすいバージョンを合体してみます。基本はオリジナルの実験を行います。あなたが受けるインタビューもオリジナルと同じです。ただし、あなたに分からないように実験者が箱にカードを入れます。つまり、記録を残すわけです。このバージョンの良い所は答え合わせができることです。あなたは確率問題が得意ではないのでインタビューに完璧に答えることはできないかもしれませんが、繰り返し実験を行い、箱にカードが十分に溜まった頃合いに枚数を数えれば確認できます。

 

(追記)

遅読猫さんから誤字のご指摘があり修正しました。 
 (追記2)03/13

 1日も経ちませんが、分かりやすいバージョンには二つのパターンがあって、オリジナルバージョンがそのどちらに対応しているかはっきりしないことに気づきました。

①1回の実験の後に箱から1枚を抜き出す。箱の中は1枚の赤札か2枚の青札かでそれぞれの確率は1/2なので、赤札を抜き出す確率の期待値は1/2

②多数の実験の後に、札が累積した箱から1枚を抜き出す。箱の中の赤札と青札の割合の期待値は1対2なので、赤札を抜き出すの確率の期待値は1/3。

 

箱の中は確定しておらず、箱から抜き出した1枚が赤札である確率も確定していないので、「確率」ではなく「確率の期待値」と書きました。

 眠り姫問題は①なのか②なのか、はっきりしないあいまいな問題という気がしてきました。スッキリ度が減少しました。

  

 

氏名―夫婦別姓でも同姓でも好きにすればいい

 夫婦別姓が一部で話題になっているので、少し調べてみました。

 

 歴史的経緯を含めて簡潔にまとめた資料を官邸が作っていました。「第8回 皇室典範に関する有識者会議」の資料4です。

 それによると、歴史的には、「姓」は公職を表すもので、個人を表す「実名」と組み合されて用いられていました。後に私的な「名字(苗字)」が発生しましたが、明治の始めまで公的には「姓+実名」が使われていたそうです。明治4年に公文書の「姓尸(姓)」が廃止され「苗字+実名」になり、明治8年の「平民苗字必称令」で国民すべてが苗字を称することになりました。ここでいう「実名」とは偽名の対語ではなく、個人を表す呼称という意味ではないかと思います。

  その後、戸籍法の改正などあり、現行の戸籍法の「姓(氏)」は、夫婦とその子という単位に付けられた名称になりました。当然、一単位には一名称なので、夫婦とその子は同じ「姓(氏)」になります。個人の区別は「名」でします。

 ちなみに明治民法では「戸主」を筆頭とする「家」を単位としていましたが、「家」の定義がどうも不明確です。「戸主」に強大な権限があり、血縁とは無関係に戸主が決められたように思えます。意外にも、現行の「夫婦とその子」のほうが血縁的です。

  歴史的にはいろいろありますが、現行戸籍法には夫婦同姓論者が言うような「家族の一体感」云々を匂わせる記述はありません。そもそも戸籍法には法の目的は書かれておらず、次のような戸籍の形式的、事務的な規定があるだけです。戸籍の整理の単位が夫婦とその子なので、同じ「姓(氏)」となっているだけじゃないかと思います。

・一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに編製される。(第6条)

・一つの戸籍の構成員は、戸籍の筆頭者と同じ「氏」を称する。(第6条)

・戸籍の氏名の記載巡は、①夫か妻 ②配偶者 ③子(出生順)(第14条)

 

 筆頭者とは戸籍の最初に記載された者で、その氏名と本籍で戸籍を表示します。面白いと思うのは、戸籍を表示する筆頭者の氏名は、亡くなっても残る(第9条)ことです。戸籍は子が結婚した時か子が子を設けた時に新しく作られ、構成員が全員存在しなくなるまで当初の筆頭者の生死にかかわらずその氏名で表示され続けます。

  さて、夫婦別姓のように家族という単位に複数の名称があると混乱しますが、他の家族と同じ名称でも混乱します。他と区別し、大げさに言えば「家族の一体感」のようなアイデンティティを示すのなら、唯一無二の名称でなければなりません。ところが同姓はありふれていて他の家族との区別という事務機能上も、家族のアイデンティティという精神的な面でも全く不十分です。

  歴史的な公職を表す姓は、その機能を果たしていました。一方、現在の「氏名」は実質的には個人を表しているだけで、所属集団を表す機能は殆どありません。ならば、戸籍も個人単位で整理しても良いと思いますが、ある程度のまとまりがあった方が整理に便利なので夫婦とその子という単位を採用しているだけかもしれません。

  その程度の意味しかない「姓(氏)」に対して、夫婦同姓論者にしても選択別姓論者にしても、思い入れがあり過ぎるように私は感じます。同姓論者は夫婦の一体感のようなもの、別姓論者は親からもらった姓への愛着のようなものです。その種の愛着は尊重されるべきですが、別に法で定める必要は無いでしょう。気持ちの問題ですから。

  現実には、戸籍の名称とは別の呼称を使っている場合は多くあります。気持ちの問題の場合もあれば、仕事の都合上の場合もあります。分かり安いのは芸名です。芸名にも様々なレベルがあって、同じ芸人が、場合によって、ユニット名を付けて呼ばれたり、個人名だけで呼ばれたりします。(「ココリコ田中」と「田中」)このような使い分けは状況に応じて行われ、戸籍名には制約されないことは言うまでも有りません。また、明治以前は屋号が使われていましたし、現在でも私的に「八百屋のケンちゃん」と読んだりします。また、仕事では役職を付ける場合がまだ多いです。

  私の父は、戸籍上は母方の姓になっていましたが、結婚前の姓で皆から呼ばれていました。その方が、商売上都合がよかったからだと思いますし、それで何か支障があったわけでもありません。皆が知っていて都合の良い通称を使うのに法的な根拠など一切必要ありません。

  とはいえ、芸名以外の通称の使用を職場が認めないことがまだあります。税金や社会保険、給与の振込みといった手続きには、戸籍上の名前が必要なので面倒だという理由のようです。でも、法的な制限は何も無いのに、面倒だという理由だけで通称使用を認めないのは過剰な制限だと思いますし、現在のICTでは簡単に処理できるんじゃないでしょうか。このような社会的制限の撤廃の必要性は感じますが、法改正の必要性は感じません。国会ではもっと大事な議論すればよいと思います。

気遣い

コロナ、コロナで鬱陶しいので鬱陶しいぐらい面倒くさい話を書いてみました。

 

togetter.com

 

 このtogetterのコメントの事例は、恐ろしいことにほぼすべて夫の無神経さへの不満です。これをバカにしてはいけません。つい先日もTVのバラエティを見ていたら、夫の無神経な態度に我慢の限界に達した妻が5年間口をきかなかったという恐怖譚の再現ドラマをやってました。実話かどうか知りませんがありえないことではないと思います。この夫婦は幸いにして仲直りしたそうですが、そうならない例も多いでしょう。

 

 はい、気遣いは大事です。Togetterの話に戻ると、「コーヒー飲む?」と聞かれた時に「いや、いい」と答えるのはアウトで、「今はいいや、ありがとう」と「ありがとう」の一言を添える気遣いが重要なのだそうです。おろそかにすると離婚の可能性が高くなります。確かにそういう気遣いは大事です。

 

 ただ、どこか引っかかるところがあります。夫(男)と妻(女)では考え方や物事の受け取り方が違います。だから相手の気持ちを察して「ありがとう」と一言添える配慮が気遣いというものです。妻(女)はちゃんと言葉に表すことが重要だと考えているのです。一方、夫(男)は、無神経で、「一々そんなこと言えるか、感謝の気持ちはあるのだから、それくらい察してくれ」と思うわけです。

 

 あれ、夫(男)と妻(女)では考え方が違うと思っていたけど、どちらも「言外の気持ちを察してくれ」というところは同じではありませんか。ではどこが違うのか。「相手の気持ちを察する気遣いは大事だ」までは同じです。違うのは察した後で行動に表すかどうかです。感謝の気持ちは言葉にしないといけません。「感謝の気持ちがあることぐらい察してくれよ、それが考え方や感覚の違う相手に対する気遣いだろう」という夫(男)の言い分は通じません。気遣いでは相手の気持ちを察するだけでは不足で、相手が喜ぶ行動をして完成します。

 

 しかし、行動すればよいというほど簡単な問題ではないのです。多くの夫(男)がそうであるように、相手の気持ちを察するのが苦手ならどうすればいいのでしょうか。相手の喜ぶ行為が分からなければ行動できませんからね。ここで安易に「分からなければ尋ねればよい」と考えるのは最悪です。「そんなことも分からないの。この鈍感野郎」となってしまいます。阿吽の呼吸というか読心術のような高度な能力が必要なのです。

 

 では、高度な能力を身に着けるにはどうすればよいかが次の問題になります。残念ながら王道はありません。「わび・さび」の精神を外国人に説明するのは簡単ではありません。一朝一夕に分かるものではなく、年月をかけて身に着けていくものです。そう、これは文化です。気遣いとは文化です。文化には背景がありそれを理解するには時間がかかるものです。

 

 なぜ時間がかかるのか。それは非合理的だからです。統一理論でズバッと割り切れません。矛盾する事例が絶え間なく勃発します。一つ一つ覚えるしかありません。文化というと高尚な趣がありますが、まあ簡単に言えば習慣です。

 

 非合理的だろうとなんだろうと習慣は無視できません。郷にいては郷に従えというではありませんか。そういうものです。面倒臭いし鬱陶しい。

 

 ところで、ふと思ったのですが、元NHKアナウンサーの鈴木健二さんはお元気なのでしょうか。兄の鈴木清順さんは2017年にお亡くなりになりました。ツィゴイネルワイゼンは映画館で観ました。怖くない怪談話でした。