被害者まで揶揄してしまう危険

菊池誠氏が「好きな時に鼻血を出せる #フクシマ人とは」を批判され「好評なのに」
http://togetter.com/li/808369

(注)ここで言う「フクシマ人」とは,福島県に関する危険デマを垂れ流す人を意味します。

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 馬鹿げた行為を批判する意図で,自ら馬鹿げた行為を演じて,その馬鹿らしさを強調する手法が揶揄である。ただし,揶揄の相手にはまず通じない。ただ怒らせるだけの結果に終わるのが殆どである。揶揄は既に分かっている内輪向けの娯楽で,議論や説得を諦めた場合にやるものである。皮肉,風刺,ブラックジョーク,笑い話の類には,その要素が多分にあり,前提の知識がある人には受けるが,怒り出す人も一定数いる。笑いは人を馬鹿にする品の良くない面があるため,眉をしかめる人がいるのはやむを得ない。それを承知の上でやっている芸人も,時々,度が過ぎたと謝罪させられる場合がある。それでも,気の利いた一撃を見てみたい誘惑に私は逆らいがたいのである。多分,鬱憤が溜まっているのである。
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 そこで,今回のフクシマ人反応ですが,おちょくられた側の怒り以外のものを感じました。菊池さんが意図したであろうものと,実際の揶揄が少しずれているように思えるのです。菊池さんは,以前から,「フクシマ」という言葉の使用を批判しています。妄想のフクシマという言葉で現実の福島に迷惑を掛けるなと批判していて,それは全く正当な主張だと思います。一見すると,今回の大喜利もその一貫のように見えます。その後のツィートでも「フクシマ」は使わないと繰り返されています。

 ところが,件の菊池さんのツィートは過度に放射能を恐れるフクシマ人を揶揄しているのであって,フクシマという言葉を使用するフクシマ人の揶揄にはなっていません。さらに,過度に汚染を恐れるのは,フクシマ人だけでなく,フクシマ人に影響された現実の福島の人にもいます。つまり,加害者だけでなく被害者も揶揄してしまったことになります。これは,「詐欺に騙されるなんて馬鹿だ」に似て,承知の上であるフクシマ人の反発以外の反応も招いた一因ではないでしょうか。

 もちろん,他の発言を併せた文脈を考えれば菊池さんが被害者である福島の人を揶揄する意図がないことは明白です。しかし,本人の意図とは関わりなく,詐欺やニセ科学の批判は騙された被害者も批判しているように受け取られがちです。化学物質過敏症問題では特に厄介なのは私も実感しました。なかなか対処が難しいのですが,注意は必要だと思います。

 菊池さんの過去の発言からすると,それくらい十分分かっているように思えます。にもかかわらず,不用意な揶揄をしてしまったのは,デマ批判の一貫である「フクシマ」禁句とデマを信じ込むことの揶揄が入り交じってしまったためのように思えます。つまり,問題のないデマ発信批判をしているはずが,注意の必要なデマ受信揶揄になってしまったというわけです。また,デマ批判の一貫として「フクシマ」禁句は微妙なところがあります。

 私には菊池さんが「フクシマ」を使わないと書いているのを見て,ピンと来ないものがありました。確かにニュートラルな「福島」に対して「フクシマ」というカタカナ標記には,特殊な意味合いが込められている印象はあります。存在しない危険性を示唆するために「フクシマ」と使っている人々は多いかもしれません。それを迷惑だと感じる福島の人もいます。

 しかし,私の「フクシマ」の語感の印象は,必ずしも悪い意味合いだけではありません。単に原発事故被災地という穏当な意味合いで何気なく使う場合もあると思います。つまり,「フクシマ」の意味や用法に明確な決まりがあるわけではないので,そこまで神経質にならなくてもと感じます。もちろん,本人が使わないと言うだけなら全然問題はありませんが,他者にまで使うなと言えるほどのものなのか難しいところです。揶揄は明白に馬鹿げているから笑えるのであって,微妙な場合は笑えません。

 まとめると,菊池さんが揶揄した,あるいは揶揄しようとした行為はいくつかあります。一つ目は,「放射線を過度に心配する行為」。2つ目は「放射線を過度に気にすべきとデマを流す行為」。三番目は「フクシマという用語を使用する行為」。4番目は「フクシマ人という用語を使用する行為」。この中で批判されて当然なのは2番目のデマ行為です。しかし,最も笑いになりやすく揶揄し易いのは1番目の気にしすぎです。そして,3と4番目の言葉使いを揶揄するのは結構難しいです。落語の転失気のようには行きません。