「パスカルの賭け」と「予防原則」は似ている

 最後は,だれを信頼するかに行き着くのは確かにその通りなんですけど,「パスカルの賭け」を連想しました。神が存在するかしないかは不確実だけど,信仰したほうが得という主張です。神を信仰した場合,神が存在すれば天国にいけますが,存在しなくても別に何事も起きません。一方,神を信仰しなかった場合,神が存在すれば地獄に落ちますが,存在しなくても何事も起こりません。ならば,信仰したほうが得であるという功利的な考え方です。

 こういう功利的な計算が信仰といえるのか疑問もありますが,天国という褒美や地獄という罰は結構強力に人間の心理に作用します。パスカルの賭けへの批判にはいろいろありますが,例えば,宗教は沢山あるので間違った神を信仰してしまう可能性が高いというものです。しかし,選択に迷った場合は最も甘いアメと最も厳しいムチを与える神を信仰すれば良いと反論できます。ただこの反論は神だけでなく,困ったことに,詐欺師も信仰してしまうことになります。多分。

 パスカルの掛けの理屈では,神の信仰に限らず,最も素晴らしい利益を約束し,最も厳しい災厄をほのめかす詐欺師を信頼すべきとなってしまいます。実はパスカルを持ち出すまでもなく,現実に信頼されやすいのです。素晴らしい利益は嘘っぽいと感じるかもしれませんが,厳しい災厄は疑いながらも万が一を考えてしまうのが人間の心理です。そのため,ワクチン,放射能,遺伝子組み換え食品,テロ,移民,犯罪者の恐怖を煽る扇動家は信頼されがちです。ただ,救いもあって,神の存在は分からなくても,詐欺師の非科学的なウソは消費者センターや食品安全や医学の専門家によって見抜けると考える人が多数です。もちろん,そうでない人も存在しますが小数派でしょう。豊洲の調査結果では再現性を疑われるような結果がでましたが,どうやら測定条件が違っていたという結論に落ち着きそうです。

 さらに,パスカルの賭けにはおかしなところがあります。神を信仰して外れても何事もないと仮定していますが,実際にはおおきな被害もありえます。例えば,信仰したのがインチキ宗教で,全財産を失うこともあります。また,パスカルの賭けは予防原則にも似ています。予防原則では,ワクチンの副作用の有無が不明ならば,副作用が有った場合の被害を考えて使用すべきでないというものですが,副作用がないにもかかわらず使用しない場合の被害を無視しています。割と恣意的な仮定なのです。恣意的だけど,人間の心理に割と受け入れやすいようです。新しいことには慎重になる保守的傾向が人間のデフォルト状態らしいのは,行動経済学が示していますが,自分自身の行動でも実感します。

 パスカルが神の存在は知りようがないと考えたのと同様に,勇気無用さんは,豊洲の危険性は知りようがないという前提に立たれているように見えます。その無知の前提に立つと,分かり安い罰を与える神やわかり安い被害を訴える扇動家を信頼しやすくなります。小池知事はまさにそうやって不安を広めてきたと思いますので,その方針を改め,豊洲への安心を担保してくれると期待できそうにもありません。期待できるのは,今まで大丈夫だったから何もしなくても築地は大丈夫という安心を与えることぐらいではないかと思います。実は今まで大丈夫だったというのは錯覚ですし,現状維持を超えて,築地市場の改修に取り組んだ瞬間に多分破綻します。ましてや今までの言動と矛盾せずに,豊洲への安心を担保できるのか極めて疑問です。

 神の存在については専門家(?)の見解は一致していないかもしれませんが,豊洲の安全性についてはほとんどの専門家が認めています。専門家が安全といっても「無知な大衆」は安心しないと悲観的になっているのかもしれませんが,現代では地球が丸いことを「無知な大衆」も知っています。それには長い時間と積み重ねが必要でしたが,豊洲もその積み重ねの一つの事例と考えたいですね。今回の結果がどうなるか分かりませんが,あきらめないことが大事です。科学で分かることなんてわずかですが,分かる事は分かります。