科学者廃業宣言

 間違ったことを言ってしまったが善意だったのだ、という言い訳の心理はわかります。知識や能力不足は認めても,人間性はよく思われたいという心理ではないかと思います。「勉強出来なくても,人の心は失うな」なんて良く言われますから,失態を演じても最後の砦の人間性の評価は保ちたいという気持ちは誰にでもあります。

 しかし,早川先生の言い訳はひと味違います。

 放射能恐怖症 (radiophobia) は認知バイアスのひとつ 
http://togetter.com/li/788234

今回は、当局による悪質な情報隠しがあったから、むしろ放射線恐怖症をしばらくわずらったひとのほうが正常だったと、私は思う。

正常だった、は違うな。知的だった、かな。いや、自立してた、かな。

ただし、あのころの当局の事故対応を思い出すと、そのとき自分が放射線恐怖症だったことをむしろ誇りに思う。

 「当局に騙されたのが正常,知的,自立している」なんて理解できませんでしたが、少し考えてみると、次のようなことの言葉足らずの表現なのかなと思えてきました。

「たまたま,実際の汚染は大したことはなく過大な心配をしてしまったが,当局の情報隠しがあったことを考えれば,甚大な汚染があった可能性も有り得た。従って,安全側の判断として正しかったのだ。」

 最初から、当局の悪質な情報隠しを見抜いていたのだのは知的だというわけです。でもこれって全然頭を使えわなくてよい考え方で全く知的とは言えません。なぜなら、当局は嘘つきという前提に立ち、当局発表と反対のことを言っていればよいからです。そして、科学者として致命的なことに、放射能汚染や健康影響についての客観的情報をどうでもよいと言ってしまっているんですね。自分が発した避難勧告の科学的根拠は間違いであったけど、それは大したことではない、それよりも当局の批判が大事であって、それを行った自分を誇りに思っているからです。あまり知的でない政治活動家みたいです。

 こういうのを政治的予防原則に基づく安全側思考と言います。(言っているのは私だけですが)汚染の実態が不明なら避難しておけば安全側で間違いないという、頭を使わないで済む行動指針です。しかし、実際には安全どころか危険です。そのことはご自分のご子息を避難させた影響の善し悪しにつて疑問を感じていて、遅ればせながら気づいているようですし、福島在住の皆さんにとっては危険側のアナウンスであったのは確かです。

 政治的予防原則では、恣意的にある一面だけ取り上げ安全側の行動をとります。別の面からみれば危険側であり、総合的にも危険側であることも多いのですが、無視されます。本当の政治では現実を総合的に扱うのはほとんど不可能なので、政治家が自分の勘で最も重要であると考える一面を強調して意見を戦わします。正解はだれも知りませんから、ばくちみたいになりますが、それもやむをえません。

 しかし、もっと単純な放射線の健康影響というような科学的事柄は十分にわかっており、そこに政治的予防原則を持ち込むと危険極まりありません。早川先生は科学者から政治活動家への転身宣言をしたも同然かと。