目先のことしか考えられない

  予防接種法は平成6年改正で、義務接種から勧奨接種になりました。その背景は次のように説明してあります。

予防接種制度 について

・ 公衆衛生や生活水準の向上により、予防接種に対する国民の考え方は、各個人の

疾病予防のために接種を行い、自らの健康の保持増進を図るという考え方へ変化。

・ 予防接種制度については、国民全体の免疫水準を維持し、これにより全国的又は

広域的な疾病の発生を予防するという面とともに、個人の健康の保持増進を図るとい

う面を重視した制度とすることが必要。

  それらしく書いてありますが、端的に言えば、行政責任の回避です。「全国的又は広域的な疾病の発生を予防する」から「個人の健康の保持増進を図る」という変化は、行政が責任を持つ社会防衛は止めて、「個人の健康の問題にしたので自己責任でやってね」と言っているわけです。リンク先の資料にも書いてあるように「種痘後脳炎などの副反応が社会的に大きな問題」となったのが直接的原因で、決定的なのは裁判で厚労省の責任が問われたことです。有罪ともなれば、止めたくもなろうというものです。ある意味で、国民の希望に応えたともいえます。

  通常、病気の治療は義務でもないし、医師から強制されることはありません。あくまで患者本人の自由意志で決定します。予防接種もそれと同じ扱いになったわけです。予防接種に伴う被害が生じても、通常の医療裁判と同じように、接種した医師と接種された人の間で解決することになり、国は直接関与しない立場になったわけです。一応、健康被害救済制度はありますが、国の責任は大幅に軽減されました。

  それに対して、従来の予防接種の義務は、個人の予防ではなく、社会への感染の蔓延を防止するという公共目的で行われていました。接種義務は憲法が保証する国民の権利を制限しますので、「公共の福祉」という大義が必要ですし、国しか出来ない仕事です。

 国民の権利を制限というと恐ろしい印象を受けますが、大抵の法律は普通に行っています。例えば、建築基準法は、本来自由に作ってよいはずの個人の敷地内の私有財産について、あれこれ制限します。制限するのは、隣の家が日陰になるとか、出火して延焼すれば、大迷惑だからです。このような問題も、当事者同士で話し合って解決してもらい、国は口出しないというやり方もありますが、関係者が膨大になり、被害と原因の因果関係もあいまいで経験的に巧くいかないとわかっています。個々の解決に任せると、いわゆる合成の誤謬という現象が起こる場合があり、都市問題はその一例で、大抵、スラム化します。

 国防や警察も同様ですが、国民の権利を制限するので評判が悪くなるのが宿命です。規制行政は、しばしば杓子定規な運用もあって苦情が殺到します。それでも、規制を止める例は少ないですが、稀に「そこまで文句言うなら、勝手にしろ」とさじを投げることがあります。記憶にあるのが公共工事の予定価格の事前公表です。予定価格の漏洩が問題になると、秘密保持という行政責任を放棄して予定価格の事前公表をしてしまった自治体がありました。公表した情報の漏洩責任を問われる心配は全くありませんからね。

 予防接種義務の廃止もその数少ない例の一つです。廃止したのは予防接種に害があるからではありません。義務は廃止しましたが、「勧奨」はしているんですからね。「勧奨」でも、接種は行わたので、それでもいいのかしれません。強制しないで済むならそれにこしたことはありません。

  ただ、HPVワクチンに関しては、「勧奨」はしても「積極的勧奨」を止めたため結構な被害がこれから出てくると予想されています。「がん」は健康被害がでるまで時間がかかるので、予防の効果を実感できないのが大きいのかもしれません。

  HPVワクチン同様に新型コロナワクチンでも反ワクチンが喧しいです。しかし、がんと違ってすぐに発症する病気では、効果が見えやすいせいか、HPVワクチンみたいな惨状にならずに済んでいます。遠い将来のことは考えられなくても、目先のことは気になるんですね。私も将棋の三手が読めません。