差別と個人の評価

「知能や気質は、人種的ごとに遺伝的な差異がある」
言ってはいけない残酷すぎる真実
橘玲の日々刻々]
http://diamond.jp/articles/-/91577

 本も読みましたが,「知能や気質は、人種的ごとに遺伝的な差異がある」というのはほぼ検証された事実らしいです。その点については私は評価出来ませんが,差異があろうが無かろうが差別の扱いには影響しないはずです。差別になるから違いを認めないという考え方は,差異があれば扱いを変えて良いという考えの裏返しで,明らかに倒錯した考え方です。

 性による腕力差や健常者と知的障害者の知能差は明白です。ただし,その違いは集団の統計的な差異であって,それを理由に個人の扱いを変えれば差別ということかと思います。(これも一概には言えず,微妙な場合がある。)腕力のある女性も,ある特定の知能に秀でた知的障害者もいますからね。(たぐいまれな実績を上げた天才に知的障害があることもある)また,学力は知能の一種ですが,学力の違いを認めたら差別になると言い出したら入試は出来ません。個人の成績で合否判断するのは当たり前ですが,受験生の出身校の偏差値という集団の特性で判断すれば差別になります。

 おそらく,差別概念は,近代以降の個を重視する思想から生まれた比較的新しいものではないでしょうか。それ以前は,集団の特性で判断することが普通で,身分とか家柄で人間の評価は決まっていました。そのため,能力のある個人が評価されないという悲劇もあったのですが,個人の評価は手間で,社会的に余裕がないと難しかった面もあると思います。もちろん既得権益とかそれ以外の理由もあったとは思います。差別という概念が生まれその撤廃が行われだしたのは,社会が豊かになって,個人のことまで目が届くようになったため,つまり「衣食足りて礼節を知る」ということじゃないでしょうか。

 個人の能力の評価は手間がかかるだけではなくて,将来性という不確定な要素もあります。例えば,企業の採用で,女性は寿退社があるので,重要な職には採用しないという差別がつい最近まで行われていました。寿退社しない優秀な女性もいますが,採用時点ではその見極めが難しいです。一方,女性という集団を統計的に見れば,女性の退職率が高いという結果は明白です。採用の効率性から見れば,女性は採用しないほうが得策です。これが,数十年前までの常識でしたが,今や採用の効率性を理由にすることは許されません。しかし,個人経営の店主が店員を採用するような場合には性差別は残っているかもしれません。差別を無くすには,経済的余裕も必要だと思います。

 現代の人間は個を重んじていますので,集団の統計的特性で扱いを変える差別は許されません。一方,物の場合は普通に集団的特性で判断されます。商品にもバラツキが有りますので,買い手は個々の商品をよく調べて買うべきです。しかし,そんな面倒なことはあまりせずにブランド品を選んだりします。また,車は同じ車種でも結構,性能が違ったりします。といって特定の車を指定することは高級注文生産車ぐらいしかできません。通常は指定出来るのは車種やグレードまでです。工場で生産されたどの車が納車されるかは分かりません。分からないことは仕方ないので,分かる範囲の情報で判断しています。つまり,集団を統計的に扱うのは別に理にかなっていないわけではなく,差別が悪いのは合理的でないからでは有りません。

 人間と物が絡み合ってくると,微妙になります。医療の治療法や医薬品の効果はあくまで統計的なものです。9割の人に効果が有っても,効果のない人もいますし,副作用が出る人もいます。残念ながら,事前にそれを予測することは困難です。事前に問診や検査で予測する努力はされていますが,完全ではありません。そして,副作用が出た場合,社会的大問題になる場合があるのはご存じの通りです。薬という物の選択が患者個人に直接関わってくると,統計的判断は非人間的に感じるようになるのだと思います。

 非人間的に感じても,副作用を平等にする方策は有りません。唯一の方策は医療を止めることですが,それは治せる病気を治せないことになります。そこで,副作用のリスクを承知の上で治療を受けるか,病気の悪化リスクを承知の上で治療しないかの選択になるわけです。一般的には,前者のリスクの方が遙かに小さいので医者は前者を推奨しますが,後者を選択することも自由です。

 しかし,自由で無い場合が有ります。社会的に脅威になるような伝染病の場合は,予防接種が義務づけられます。もはや,病気になるのも個人の自由とは言えないからです。予防接種で副作用が出る個人を特定出来ない以上,集団全体を一律に判断せざるを得ません。少なくとも現状の医療技術ではそうなると思います。しかし,医療技術が発達し,個人レベルの副作用が分かる様になれば,事情は変わってくるのではないでしょうか。 

 以上のようなことから,社会の富や技術に応じて,個人の評価根拠は変化しているのではないでしょうか。差別は無条件に悪いと考えるよりも,今の状況でなぜ悪いのかを考える方が,差別解消に繋がると思います。例えば,学歴による判断は集団の性質で判断していることになりますが,現時点で全く行われていないかは微妙です。