アファーマティブアクション

世界一単純なアファーマティブアクションの解説
http://macska.org/article/117

いきなり一言で言ってしまうと、要するにアファーマティブアクションというのは、陸上競技で内側のトラックを走る選手よりも外側のトラックを走る選手がより先の位置からスタートできるというルールと同じ。
(中略)
それがいわゆる「実質的平等」ということなのね。

 走る距離を平等にするのは単なる差別解消ですね。アファーマティブアクションの例えにはなっていないと思います。アファーマティブアクションは逆差別とも言われるくらいですから,走力に劣る選手の走る距離を短くして,結果的に実力のある選手と互角に戦えるようにする必要があるんじゃないでしょうか。なぜ,そんな逆差別をするかというと,歴史的背景があると言われています。次の様な背景です。

 一昔前には,あるチームの選手は距離の長い外側コースを走らされるという差別を受けていた。当然,チームは勝負に勝てず,弱体化していった。経済的にも困窮し,満足な練習も出来ず,実力も低下するという悪循環に嵌ってしまった。そのような差別状態が長く続いたが,ある時,これではいけないと差別が解消された。しかし問題はそれで解決されたわけでは無かった。走力に劣るそのチームはやはり勝てなかった。勝てなければチームの経済的基盤も改善せず,その地位は低いままだった。そこで,競走の条件を平等にするだけでなく,競走の結果を平等にする方策が採られた。その結果,チームの経済基盤も改善し,走力も向上することを期待した。これは逆差別だが,過去の差別を埋め合わせると考えれば,相殺する。いずれ,実力が付けば優遇を止めればよい。

 陸上競技アファーマティブアクションは上述のようなものですが,実際のアファーマティブアクションもほぼ同じ考え方だと思います。つまり,「差別を撤廃し,機会を平等にしたとしても,過去の差別の後遺症による低収入,低学力,低能力のため,進学や就職の競争に勝てない。その結果,能力も収入も低いままという連鎖で格差も是正されない。従って,この連鎖を断ち切るためには,機会を平等にするだけでは不足であり,被差別グループにアドバンテージを与える必要がある」,という考え方です。

 ここで問題はアドバンテージとして何を与えるかです。低収入を補うならば経済的アドバンテージになります。これは,低所得者に対する授業料免除などの支援として既に行われていて,教育分野では効果が期待出来ます。しかし,これは通常,アファーマティブアクションとは言いません。この方策は,教育の機会を平等にしているに過ぎません。勉学を行う条件をそろえただけで,その後の競争は自分自身の能力次第です。学費が無くて進学出来ないという障害は解消されますが,学力不足は補ってくれませんし,入試に落ちれば進学出来ません。そのため,過去の差別の負の遺産で学力に劣る被差別グループは負の連鎖から抜け出せません。

 通常,アファーマティブアクションと言われるのは,学力不足を補うような方策です。成績が悪くても,人種枠によって入学できるという類のものです。ただ,それだけでは不十分です。想像できることですが,入学しても学力不足なら,落ちこぼれる可能性が大きくなります。従って,入学後も成績の水増しのような,アファーマティブアクションが必要になります。かくして学力が無くても目出度く卒業できます。でも,そんな学生を採用したいと思う企業はいません。従って,更に採用時のアファーマティブアクションが必要になります。採用後も落ちこぼれの可能性はつきまとい,昇進も高収入も望めませんから,またしてもアファーマティブアクションの追加が必要になります。最終的に,能力や業績に無関係に高収入を保証する必要があります。これでやっと,次の世代の格差の連鎖を断ち切れます。

 しかし,これって結果的に低所得者への経済支援を回りくどくしただけって思いませんか。本当は違うのに学業優秀で仕事の出来る奴という茶番を演じるために利用された大学や企業は迷惑ですし,本人にとってもそういう経過はあまり居心地の良いとは思えません。余計なことをせずに最期の経済支援だけした方が話が早いのじゃないでしょうか。まあ,現実は複雑なので,茶番はあからさまに演じられることはなく,上手くごまかせるのかもしれません。ごまかされなくても,みて見ぬふりをしてくれるのかも知れません。それでも,あまり楽しい状況とは思えません。

 経済支援とアファーマティブアクションにはもう一点違いがあります。経済支援は自助努力可能なレベルまで引き上げる最低限の支援です。あまりに貧乏だと,自助努力の道も閉ざされてしまうので,平等な条件で競争出来るレベルまで支援します。その後は自助努力です。支援だけでは地位は向上しませんが,努力によって向上が見込めそうだと,努力のモチベーションも働きます。中には努力しない奴もいるでしょうが,そこまで面倒みることも無いでしょう。

 これに対してアファーマティブアクションは,過去の差別によるマイナスを埋め合わせるという考えですから,当然,平等以上の優遇になります。競争環境を平等にする支援を超えて,一足飛びに結果が与えられます。こうなってしまうと,自助努力など馬鹿らしくなります。この場合は,努力ではなく優遇を維持するモチベーションが働くのではないでしょうか。本来は経過措置であるアファーマティブアクションを永続化しようとするわけです。下手に実力を付ければ,優遇は無くなってしまいます。優遇の維持はほぼ差別の維持であり。発展途上国への援助が発展になかなか繋がらないのと似ています。

 再び,陸上競技の例えに戻ると,アファーマティブアクションは,チームに所属する全員にアドバンテージを与えてくれます。そのチームには実力のある選手もいますがアドバンテージをもらえます。個人の能力ではなく,所属集団の性質で判断するという差別と全く同じで,逆差別と言われる所以です。このような措置によって,弱小チームの走力が向上するとは思えません。むしろ低下させるのではないでしょうか。練習して走力アップしなくても勝てるのですから,努力する気も無くなります。

 陸上競技アファーマティブアクションの弊害で私が最も重大だと思うのは,走る距離の違う茶番競技なんか全然面白くないことです。最早,競技ではなく,観客は去り,競技は衰退必至です。だから,たとえ話ではない現実にはそんな競技は存在しません。複雑な現実の教育や仕事は茶番がごまかせるかもしれませんが,その為にスポイルされるかもしれません。ただし,パラリンピックやシニア戦などでは,障害の程度や年齢によるハンディ戦が存在します。この場合は,ハンディキャップの解消が不可能なのでそうせざるを得ません。

 もし,教育や仕事でも,永遠に差別が解消されないという前提なら,アファーマティブアクションもあり得るでしょう。やむを得ない事情で能力が劣っている人々だから,配慮が必要ということになります。そして,現実にそうなっているんじゃないかと疑わしい事例があるような気がします。