ザハ案を選ばれたのが運の尽き

 新国立競技場騒動では,サハ案採用後の,基本・実施設計者,施工者の責任についてもいろいろ憶測する記事があります。酷いのでは,日本の設計事務所の修正案よりザハのオリジナルの方が安いというトンデモ説まであります。そこまで酷くはなくても,曰く,概算が甘い,ゼネコンのぼったくりだと疑う意見もあります。その可能性がゼロとは言いませんが,所詮憶測で証拠がありませんので言及しません。少なくとも,ザハ案は前例のない施設であり,正確な工事費は実施設計までしないと分からないと私は思います。それどころか,着工後に思わぬ工事費増もあり得るでしょう。聞くところによると,上部構造はゼネコンもやりたがらず,手を挙げたのは1社だけとか。それが本当なら,工事費が膨らむのも当然です。

 では,ザハ案はそんなにぶっ飛んだ案だったのでしょうか。そうとも言えるしそうでもないとも言えます。そうでもないというのは,構造的には斬新でも高度でもなく,単純な力業だからです。小さい規模で使われている構造をそのまま巨大化しただけです。普通,スタジアムに屋根をかけるなら,他のコンペ案のような立体的な構造にします。高度な計算が必要ですが,軽量で合理的に出来ます。それに対してザハ案は基本が平面的なアーチ構造の組み合わせです。橋梁では,支点が川の両岸しか有りませんから,その両支点を繋いだ平面上に構造体を構築するしか有りません。しかし,スタジアムでは,内部に支点はおけませんが,建物全周から支えることが可能です。それを活用すれば立体的な構造になるわけです。

 にもかかわらず,ザハ案では橋梁と同じように二つの支点で支える構造にしており,しかもその支点はわざわざ建物の長辺方向にしています。短辺方向で支えられるのにお金の掛かる長大スパンにしているのです。また,スパンに応じた経済的な構造形式があり,桁橋は50m程度まで,アーチ橋は200m程度まで,それ以上になると斜張橋や吊り橋になります。橋と建物では条件が違いますが,アーチで300〜400Mというのは橋としてもかなり長めです。建築では多分,前例は無いと思います。

 かように,デザイン的要求(*1)から来ているアーチ構造であって,構造的合理性はありません。構造的合理性があれば安く出来ます。構造的合理性(経済性)を無視して自由なデザインをするという点でザハ案はぶっ飛んでいます。鳴門大橋をアーチで作るような案です。

 とはいえ,この種のぶっ飛んだデザインは建築では珍しく有りません。建物が傾いていたり,宙に浮いているようにみえるようなアクロバチックなデザインも有ります。相当強いインパクトを与えることができますので,建築家の表現欲求を満たせますし,それを求める施主も結構いたりします。

 さらに,あえてぶっ飛んだデザインにする場合もあります。日常的な建築ではなく,記念碑的建築の場合です。実用よりも象徴的意味合いが重視されるというか,それが目的です。極端な例を言えばピラミッドやサグラダファミリアのような建築です。これらの場合は,予算や工期は無いも同然です。お金や時間はいくら掛かろうとも,後世にのこるレガシーを作りたいわけです。

 現代ではレガシーを作るというのは流行らなくなっていますが,全くない訳ではありません。森組織委員長は「国がたった2500億円もだせなかったのかね」といいました。競技場の場合は時間はいくら掛かってもよいとはいきませんが,金なら出せるだろうということだと思います。なによりも,レガシーを作りたい建築家は今でも結構います。

 コンペ時点でザハ案が予算内に納まらないという指摘はありました。コンペでは珍しいことではなく,そのまま突っ走る場合もあります。今回の場合も,レガシーを作るという判断をしたのだと思います。安藤忠雄氏の会見を聞いてもそういう印象を受けます。「日本の総力を挙げて、ゼネコンも思い切って、『日本の国のためだ』と言ってもらわないと。」と発言しています。確かに,そのくらいの意気込みが無ければレガシーは出来ないと思います。しかし残念ながら,国民やゼネコンにはその気はありませんでした。では文科省やJSCの考えはどうだったかというと,何も感じられません。こういう事態になると,多くの人が,政治家やゼネコンの陰謀というような悪意に原因を求めたくなるようですが,今回は何も考えていない無能無策のため,望んでもいないレガシー指向の案を選ばれてしまったという印象です。

 建築家には,ローコスト建築を特徴とするような日常的な製品を提供したいビジネスライクなタイプと,レガシーや文化を創りたい芸術家タイプがいます。どんな建築にもその両面があり,バランスは様々です。なによりも,建築主が明確な意図を持っていないとレガシーよりの建築家に振り回されますから注意しましょう。新国立競技場ほどの金額は前代未聞ですが,普通の建築でも予算不足のもめ事は頻繁に起こっています。

*1:ザハのデザインは建築デザインというよりもスケールの小さな工業デザインに見えます。何というか,特撮の怪獣のデザインのような印象で重力を感じさせません。また鳥瞰図で見ると流麗でカッコイイのですが,実際にはそんなところから見ることはありません。地上の人からの目線では,周囲のデッキ部分に遮られてアーチはあまり見えないのではないでしょうか。あるいは,砂漠の中のようなところでは,遠くから建物全貌が見えるかもしれませんが,都心部では部分しか目に入らないように思います。