許せないという感情

■損害賠償訴訟

「被害者遺族が訴訟を起こせば……」『絶歌』出版の“酒鬼薔薇聖斗”現在の住所・名前が暴かれる日
http://news.livedoor.com/article/detail/10247270/

 発端の手記出版の是非はともかく,こういう報復合戦には共感できません。一言で言えば,報復に裁判を利用しています。しかも,遺族ではなく「複数の弁護士」の意志です。遺族をそれに巻き込もうとしています。訴訟の名目は「損害賠償」ですが,元少年Aの身元を曝くのが目的です。そうなれば、元少年Aへの不特定多数の嫌がらせが発生するであろうことを示唆しています。

 また,損害の内容が不明です。手記の内容次第ですが,遺族について不適切な言及があれば損害の可能性もありますが,単に事件について触れているだけで差し止めは出来ません。遺族は事件が話題になること自体が苦痛だと言うことは理解できますが,話題にするのもダメならば,この記事も損害賠償の対象になります。また,次の記述も気になります。

「でも、今回のケースを契機に新しい日本版の『サムの息子法』を作りたいと考える弁護士も少なくないです。そのために大きな波風を立ててきっかけ作りにしようと話している弁護士もいて、32歳の酒鬼薔薇聖斗が、少年法そのままの匿名で、過去の犯罪をビジネスに利用したことに対する報復として、合法的に著者の現在を白日の下に引っ張り出すための裁判案を練っています」

 これは,弁護士の活動に遺族を利用しているってことです。その活動自体は社会的意義があることかも知れません。だからといって,静かにしていて欲しいという遺族の意志を無視して,訴訟に引っ張り出すのは,社会的意義のための出版と同じです。遺族の感情に配慮して事件を話題にするなという訴訟が事件を話題にして遺族の感情を傷つけるという矛盾。

 また,元少年Aの身元を明かし,報復が功を奏すれば,彼は事件を話題にしてしか生きていけなくなるかもしれません。あくまで想像にしか過ぎませんが,かりに彼が身元を隠して,社会に適応し生活しているのならば,こんな手記を出版する必要は無かったように思います。既に,適応困難を感じ,手記を書かざるを得なかったということも有り得ます。もしそうであれば,訴訟は彼に事件を題材にした作家デビューの踏ん切りを付けさせることになります。ある意味で、彼の後押しをし、彼と一緒になって、遺族の感情に波風を引き起こすことになります。

■手記出版

 次に,発端の手記出版の是非ですが,感情的な嫌悪感を覚えるにしても,それを理由に出版を止めさせるのは無理でしょう。金儲けが動機とか,気分が悪いという気持ちの問題で出版を禁止されては堪りません。気分が悪いと言う自由はあるにしてもです。

 出版に批判的な意見には,遺族感情への配慮と犯罪を利用して報酬を得ることへの反発の大きく二つがあります。後者については,単なる個人のやっかみ感情の場合もありますが,犯罪を触発する可能性が有ると言う点はもっともです。その対策としてサムの息子法を日本でも作れば,報酬は得られませんので,犯罪を触発するおそれは無くなります。それにしても出版は出来ます。

 ところが,遺族感情ということになると,とにかく出版して欲しくないわけですから,サムの息子法は無力です。前述したように,遺族のプライバシーに係わるような内容であったなら,出版差し止めも可能です。しかし事件を題材にした出版自体が苦痛であると言われると,遺族にはお気の毒だけど規制は無理でしょう。元少年A以外の執筆者による事件を扱った出版も規制することになってしまうからです。

 他の執筆者なら良いと言うのなら,出版そのものの是非ではなく,元少年Aだから許せないという事になります。それは,元少年Aの社会復帰が許せないという気分なのではないかと思います。つまり、あのような事件の犯人には、復活の機会は与えられないと。

 今のところの考えのまとめ、

・感情を傷つけたり嫌悪感を催す行為でも、法的に制限できないものがある。
・例えば、出版の自由、訴訟の自由など。
・それに対する嫌悪感の表明や批判の自由もある。
・嫌悪感を催す行為でも自由が認められているのは、禁止する弊害が大きいことが経験的にわかったから。(倍返し戦略はうまくいかない)
・制限を課したがるのは、悪は抹殺すべきで、更生はありえないという報復感情が根にある。