執念深い復讐心

『絶歌』と版元の太田出版は、ただの外道である いまだに悲劇の主人公ぶる幼稚な酒鬼薔薇
http://biz-journal.jp/2015/06/post_10431.html

 中川淳一郎氏は「絶歌」の批評をしていますが,それについては特に言うことはありません。気になるのは,出版も批判していることです。「絶歌」の内容批判よりも,「完全自殺マニュアル」も出版した、太田出版への批判が主意と読めます。

 社会に害を及ぼす有害図書は禁止すべきという意見については、「社会に害を及ぼすこと」の判定が問題になります。例えば「完全自殺マニュアル」出版によって有意に自殺が増えているという信頼出来る統計でもあれば禁止措置もありえるかもしれません。豚レバ刺しの禁止がE型肝炎感染者数の倍増という証拠に基づいているようにです。

 ところが、有害図書に関していえば、そのような根拠があることはほとんどありません。大抵、恣意的なものです。数十年前はマンガは有害図書扱いでしたが、非行や犯罪とマンガの関係が示されたことはなく、マンガ嫌いの単なる憶測に過ぎませんでした。そして、今やマンガは日本の誇るべき文化に昇格しています。また,明らかに間違っている「ゲーム脳の恐怖」のようなトンデモ本でも,その本の影響で具体的な被害が発生したことを証明するのは困難であり,流通しています。

 ましてや,個人的な経験談で、社会的な害悪というには不十分です。中川淳一郎氏の婚約者の自殺には完全自殺マニュアルが関係しているかもしれませんが、それを言えば名作とされる文学作品が自殺や犯罪を誘発した例もあります。それは特殊な例であるという反論が考えられますが、その反論は完全自殺マニュアル」でも言えるわけで、特殊例でないというためには、統計的な根拠が必要なのです。

 しかし,豚レバ刺しのような食品とは違い、言説や思想について,有害性について統計的根拠があるものはありません。一人前の大人なら,有害思想に接しても感染しないだけの知性を備えいるとみなされ,有害図書から保護する必要があるのは子どもに限られます。従って、出版は名誉棄損、プライバシーの侵害といった、特定の個人への確定的な被害を与えた場合しか差し止めできないのが現実です。

 では「絶歌」は名誉棄損などに相当するのでしょうか。私は読んでいないのでわかりませんが、中川淳一郎氏の書評を読む限りでは、幼稚で社会的意義などまったくないというだけで、違法という指摘はありません。しかし社会的意義のないゴミ本は山ほど出版されています。有害と思える言説には批判という言説で対抗するしかなく,禁書という措置はありません。

 もの書きなら,禁書に賛同するとは思えません。ところが,著者が事件の犯人であるというような事情だと違って来るようです。犯罪者が犯罪をネタに印税を得るのは許せないという感情が沸くのだと思います。犯罪者には厳罰を求める心理と同根ではないかと思います。殺人犯人が死刑にならないのは被害者遺族の気持ちを思えば許せないとか、死刑廃止論に対して、「わが子が殺されてもそういえるのか」という報復感情です。これは理屈ではないので厄介です。

 こういう問題は歴史を振り返るのが有効です。報復感情を処理するために,かつては私的仇討ちや決闘も黙認されていましたが,社会秩序を乱すため禁止されるようになりました。目には目の復讐法もありましたが、個人的な報復感情に見合った刑罰では社会的弊害が大きいことが分かってきて,徐々になくなっていきました。現代でも刑法には刑罰がありますが,その目的は社会秩序維持のための国と犯罪者の関係を定めたもので,犯罪被害者の復讐感情を満たすためのものではありません。犯罪者と被害者の関係は民法の扱いになり,損害賠償を請求できるだけで刑罰はありません。

 ただし、法的な復讐がなくなっても、人間の復讐心が消えることはありませんので、法とは異なるレベルで復讐は行われています。法的には犯罪者も刑期を終えれば一般人と同等に扱われますが、人間関係では様々な制約が残ります。罪は一生かけて償わなければならず,場合によっては子孫にまで影響します。多くの人は刑罰の意味を勘違いしており,復讐感情を満たすには不十分と感じ,厳罰を求めます。実に皮肉なことに、この執念深い復讐心によって、犯罪者は手記を書くぐらいしかすることがなくなります。

 残念なことですが,脳の器質的異常で犯罪を犯すサイコパスという人々が存在するようです。サイコパスは治ることがなく,更正の見込みは無いそうです。彼らと上手く付き合う方法はなく,最良の対応は係わらないことだそうです。私も含めて多くの人が犯罪者に持つイメージはこのサイコパスではないでしょうか。犯罪者は更正することはなく,再犯を繰り返すので,係わらない方がよいと考えます。特に異常な殺人事件の様な場合は,死刑にして元から絶たないと安心出来ないという気分になります。そして犯罪者と自分は人種が別なのであり,自分が犯罪者になることはあり得ないと考えているような気がします。

 しかし,日本の刑法犯の人口10万人当たりの発生者数は1500人程度で,百分率で1.5%です。一方でサイコパスは,東アジアでは0.1%前後だそうです。つまり,犯罪者の殆どは普通の人だということです。私は大人になって人を殺したいと思ったことはありませんが,子どもの頃にはあります。子どもの頃はズルイ行為が許せない気持ちが強かったと思います。ズルした奴には報復しなければ気が済みませんでした。実際に殴ったことも一度あります。軽症で済みましたが,当たり所が悪ければどうなっていたか分かりません。正義感や復讐心は感情ですから,冷静に制御困難です。その結果,殺人犯になってしまったかもしれません。

 つまり,復讐心が強く処罰感情も強い子どもの頃の私のような人ほど,処罰される可能性も高く,これも皮肉です。合法的な復讐を逸脱しないから大丈夫とも言えません。なぜなら,復讐心の強い人は合法的な復讐では飽きたらないと感じているように思えるからです。例えば,殺人犯の著作の出版が合法なことに納得できないとか,身元を曝いて嫌がらせしてやろうとか。