社会的ユニフォーム

学校や会社で男子は長髪禁止、女性は自由という謎の規則
http://www.gloriousblogger.net/entry/2014/07/09/124657

 この種の疑問は,髪型や制服の規則が始まる中学生になると大抵の人が感じたのではないでしょうか。私も感じましたよ。長髪が不衛生という屁理屈を先生が言うのも聞きましたし,「じゃあ,女子は不衛生でもよいのか」と型どおりに反発もしました。ただ,どういう恰好をするのか考えるのも面倒くさく,制服を来ていた方が楽とも思う言行不一致でした。疑問はあったものの,別に改革運動を起こすこともなく,あっという間に制服の6年間は過ぎました。そして,大学生になって自由な恰好ができるようになったものの,面倒くさがり屋かつ貧乏だった私は,入学式以降の数日間,学生服に短髪という姿で大学構内をうろついていました。当時はそんな学生もいないことは無かったのです。すると,同じような恰好をした学生がニコニコしながら近づいてきて,なにやら話しかけてくるのです。「おお,いいね,是非わが部に入ってくれ」応援団の勧誘でした。丁重に辞退して,その日の内に生協で安いジャンパーを買い込み,翌日からはそれを着ました。

 この現場を同じ学科の連中に目撃されていて,冷やかされました。連中は大体同じように,当時の学生風の恰好をしていましたので私ような経験はしていません。人とは違った恰好をすると,面倒くさいことになるとこの時学んだのです。服装や髪型はある種のサインを発してしまいます。そのサインは自分の意図とは無関係です。サインを受け取る側が勝手に解釈するのです。数日前にも,芸人の認知度を試すという企画のTVを見ていたら,しゅんいちダビッドソンを見たおばさんが「ヤクザの人かと思った」と言ってました。「いや違います」と説明するのも一仕事で私は大学生活当初にそれを経験したのです。

 制服という決まりは無いはずなのに,世界中のどこでも属する集団内では同じような恰好をしています。羽根飾りにペニスケースやら,タータンチェックのスカートやら,そのバラエティは富んでいますが,同じ集団では同じような恰好をしています。専門家ではないのでその理由は正確には知りませんが,一つには,外見で敵対する部族から瞬時に区別するためだと思います。闘いの場で仲間であることを説明している時間が惜しいのは,私が応援団に入る気がないことを説明する時間が惜しかったのと同じではないでしょうか。

 これは,スポーツのユニフォームの機能と同じです。特に敵味方が入り乱れてプレーするスポーツでは味方であるサインは瞬時に発する必要があります。サラリーマンは概ねダークスーツですし,芸能人はそれ風の恰好をしています。私の仕事で時々会う自営建築家はスタンドカラーのシャツにジャケット姿が結構多いです。「私は建築家ですよ」と営業サインを発しているのだと思います。

 サインの意味は社会的に決まっていて,個人が勝手に決めることはできません。自由に決めているつもりでも,実はしっかり社会的約束事に従っている場合が多いと思います。大学生も就活ではリクルートスタイルに変化しますが,これも「御社の役に立つ人材」のサインです。サインを使わずに面接でアピールするのは効率的とは言えません。

 もちろん,中には例外もあります。明和電機という中小企業工員風の芸術ユニット(芸人?)もいます。ただ,その場合,そういう恰好が好みというわけではなく,社会的サインの意味をしっかり理解した上で,あえてそれに逆らうことで,効果的なサインを発すると言う計算があるように思えます。アンチジャイアンツというジャイアンツファンに対するジャイアンツの影響力同様に,社会的サインの影響力は思いの外強いのです。これから逃れているのは素朴な子供のような人だけです。山下清画伯のランニングシャツと半ズボンは計算ではないと思います。

 素朴な子供に近い若い人ほど社会的サインから自由であるかというとそうでもありません。若い人はこれから社会との係わりが強くなりますから,従うにしても,反発するにしてもサインにも敏感なところがあります。それに対して隠居に近付いている老人はあまりサインを気にしなくなります。それを見た若い人は,流行に疎いなあと,ご長寿クイズのボケ回答を見るように笑います。確かに疎いのですが老人は流行に詳しい必要は少ないのです。それに対して若い人には必須科目のようなものです。広い意味では流行も社会的サインで,仕事以外の社会的交流で重要な位置を占めます。疎いとコミュニケーション障害を起こします。

 私の様なファッションに主張もなく面倒くさがり屋は社会的サインにあえて逆らうことはしませんが,現代にも,ちょんまげ同好会が存在しているらしいです。力士ではありません。以前に頭頂部が薄くなってきたのでちょんまげにしたという人をTVで見たこともあります。おそらく,同好の士は手間暇を掛けて,敵の回し者でもなく,頭がおかしいのでもなく,仕事は普通にこなすことを説明して,ちょんまげ姿を周囲に認知してもらっているのではないでしょうか。お疲れ様です。