少しは悩め

「後藤さんの命を救え」 官邸前で200人がアピール ー 朝日新聞DIGTAL
http://www.asahi.com/articles/ASH1T5SYFH1TUTIL01Z.html

 この人たちは,自分たちの行動が後藤さんの命を救う足しになっていると考えているんでしょうか。そう考えているから行動しているのでしょうが,実に奇妙な感じがつきまといます。なんというか,日頃やり慣れている政治運動の手法を,場違いな状況でも惰性で行っているという印象です。デモや街頭でのシュプレヒコールは世論に訴える政治運動の手法なのですが,それを政治運動ではない人命救助の場面で行っているという強烈な違和感があります。それともひょっとしたら政治運動のつもりなのでしょうか。それはそれで,人命さえも利用した政治運動という宣伝をしているようでなんとも言いようがありません。

 人命救助では究極の選択という悩ましい状況に直面せざるを得ません。遭難救助で捜索を続けたいけど,悪天候で二次遭難のおそれがあり,捜索を続けるべきか中断すべきかとかです。こういう判断は専門家が行いますが,「中断など人命軽視も甚だしい,言度同断である」とデモを行う素人はいません。少なくとも,救助活動中はあり得ないでしょう。平常時に捜索活動について委員会の審議でも行われているのなら,自分たちの意見をアピールすることはあるかもしれません。でも実際の捜索活動中に邪魔をしてどうすんの,と思います。

 いや,明らかに捜索活動が間違っているというのなら,緊急措置として有り得ないでもありません。しかし,繰り返しになりますが,こういう場面では悩ましい究極の選択をしなければならないのであって,明らかに間違っているなどということは有り得ません。しかも,普段から捜索活動について考えているわけではない素人が,自信満々で専門家に間違っているなどと言えば「外野はひっこんでいろ」と一括されて終わりです。

 もう一つ仮想的な状況を考えて見ます。命に関わる病気の患者Fさんの手術を行わなければならない医師Aさんがいます。ある貴重な臓器を移植すればその患者は助かる可能性が高くなります。たまたまその臓器が病院に冷凍保存されています。しかし,その臓器は,ある薬を作る為に用意されたもので,その薬を待ち望んでいる多くの瀕死の患者さんがいます。実に悩ましい判断ですが,医師Aは決断をして手術室に入りました。とその時,病院の周囲で「Fさんを救え!」とシュプレヒコールをあげる一団が現れ,手術の邪魔をするのでありました。

 この集団の特徴を挙げれば次のようになります。

第一に,状況を理解していません。
第二に,自分たちの信条に絶対の自信を持っています。
第三に,その信条は物事を一面からしか見ない単純なものです。
第四に,専門知識がなく自分たち自身では手術出来ません。

 もう一つ付け加えると,彼らは自分たちが非常に恵まれていることを当たり前と考えており,恵まれていない人の行動が理解出来ません。病気の治療は必ずしも最善の方法が行われるとは限りません。その理由は患者の経済的事情です。患者だけでなく,社会全体の余裕からも最善が望めない場合も多々あります。一方の彼らは,命を救うためにはお金は無尽蔵に使えると思っており,貧乏人が使わないのを不思議に感じます。葛藤がありません。